──戦後、帰国した杉原は外交官の仕事を続けられませんでした。それはビザ発給に関する訓令に違反したためというのが通説です。
外務省は、杉原への懲戒処分はなく、47年に依願退職していると説明すると同時に、「勇気ある人道的行為を行った」としています。研究者らからは「人員整理による退職」「実質上のクビ」という2つの見方があります。
ただ、「ユダヤ人にビザを発給して後悔などまったくしていないし、それが外務省をクビにされた唯一の理由とは考えていない。自分でクビになるのを覚悟した行動だから、クビになっても恨む相手もいないんだ」と伸生氏に話しています。また、杉原は亡くなる直前まで、外務省の現役職員やOBなどで構成される「霞関会」の会員で、新しい職場や住所などを会報に投稿しています。これらを見ても、外務省と確執や軋轢があったとは考えにくいのです。
考えにくい外務省との確執や軋轢
前述のように、ビザ発給はクビを覚悟しての行動だったのは明らかです。杉原は自らの行動に責任を持ち、ほかに転嫁しない潔い人間でした。外務省に対するわだかまりはなかったと考えられます。
──杉原がビザを発給した当時の状況はよく知られている反面、避難民が日本に至る過程、日本に来て米国など第三国に出国するまでの状況はよく知られていません。
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