──ただ、避難民の日本入国には当時の内務省の入国規則など、難関があったようですね。
入国規則に沿わなくても入国させるべきだと動いた日本人がいました。例えばウラジオストクの日本総領事館総領事代理だった根井三郎。ウラジオストクで足止めされたり、敦賀港で入国を拒否され戻ってきたりした避難民らを「受け入れるべきだ。ビザは有効だ」と本国に強く主張しています。自らも「同情する気持ち」から渡航証明書やビザを発給しています。
またジャパン・ツーリスト・ビューローの大迫辰雄は、ニューヨークから送られてきた支援金をユダヤ人に手渡すなどの輸送業務を熱心に行い、避難民からとても感謝されています。船内で避難民リストと実際の避難民の名前を突き合わせ、支援金を確実に渡すという煩雑な業務を懸命に行ったためです。
「命のビザ」をつないだ日本人たち
さらに、神戸滞在中に避難民にかかわる問題を解決するために奔走したヘブライ語学者の小辻節三がいます。日本人とのトラブルや目的地へのビザ取得までの滞在日数不足といった問題で、当時の外相・松岡洋右との人脈などを生かし、解決策を引き出しています。
──命のビザはうまくリレーされたのですね。
命のビザを発給した杉原の、自分のためでも国のためでもなく、一切の見返りを求めない無私の行為に共鳴する日本人がほかにもいたということです。そんな人道的な日本人がいたことを誇りに思います。彼らの行動は、命の大切さや平和の尊さを考えるきっかけになると思います。
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