先日、私はインターネットTV放送局の討論番組に出演しました。テーマは「リーダーの発信力」。30分のコーナーで、菅首相をよく知り、彼と同年代の政治ジャーナリストの男性と私がゲストで話をする、という立て付けでした。
私は流れや想定される質問などを洗い出し、用意周到で臨んだのですが、このジャーナリストが、「菅首相の能力をほめそやす発言」を延々と繰り出し、話が止まりません。私の出番はほぼなく、あっけなく終わりました。
「パブリックと対話をする力」が絶望的に弱い
なんとなく予想していた展開だったのですが、興味深かったのが、彼の解説でした。「菅さんは実行力の人で大乱世のリーダーだ。1年後にはすごかったことがわかる」と断言。根拠は「菅さんは官僚をおさえている。官僚は彼の言うことを聞くからだ」というものでした。
つまり、「政治家や官僚と渡り合い、折衝する力が優れている」という評価です。結局のところ、「永田町に必要なコミュ力」とは、派閥やしがらみや利権を勘案しながら、折り合いをつけ、「落としどころを探る力」ということなのでしょう。だからこそ、「『会食』がやめられない」というわけです。
密室での駆け引きや談合こそが「政治」と思い込んでいる日本の老練政治家の多くが、「国民と真正面から向き合い、政策を訴え、理解を得る」ためのコミュニケーションの努力をほとんどしてきませんでした。
よって、そもそも日本の政治家には「パブリック」と対話をする力が絶望的に弱いということです。平時であれば、事足りても、未曽有の危機下では「由々しき問題」です。
なぜなら、リーダーは「飛行機のパイロット」のような存在であり、有事には、操縦桿を握りながらも国民に指針を示し、その不安を鎮めるコミュニケーションを続けていかなければならないからです。
なぜ、ここまで発信力がないのか。その背景には、「リーダーとコミュ力」に関してのいくつかの大きな誤解や勘違いがあるように感じます。その中から、3つの「根本原因」を紹介しましょう。
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