話が長くなりましたが、良しあしではなく、あくまでも好き嫌いの問題として、こんなふうに研究者の業界でも喜びのツボに違いがあるように思います。為末さんも考えることが好きだとおっしゃっているので、この3つのタイプに分けたとして、どれに喜びを見いだせそうですか。現役のときは、タイムをよくしていくという明確なゴールがありますが、引退後の今はいかがですか。
為末:その点では、黙っていられない部分があるので、川中型でしょうか。川上の喜びもわかるのですが、それだけだと消化不良な感じですし、川下に行ってしまうと、もう次の川が始まっている気がします。川上と川中をグルグル回っている感じです。
プロアスリートという特殊な存在
楠木:アスリートの世界が、とても厳しく、かつ特殊な世界であることを理解したうえでお伺いしたいのが、プロのアスリートという存在です。プロというからには、個人的な喜びとは別に、仕事として成立させなければならない。そこは、どう折り合いをつけていったのですか?
為末:プロのアスリートとしては、勝たないと始まらない部分があります。だから、「勝ち」にはこだわります。僕が400メートルハードルの選手となったのは、まさに勝ちにこだわった結果です。100メートル走などは、海外に比べて日本はレベルが低かったので、学生の頃は国内の大会で走っても勝てるのです。でも、国際大会にいくと全然勝てない。若い頃に、100や200では世界に通用しないことがわかる。そこで、勝つためには、ハードルならいけるかもしれない、それも110メートルよりは400メートルならごまかせるかもしれないと考えて、競技に選んだのです。
楠木:為末さんは、ご著書などには、「アスリートとしての目的は、観ている人にインパクトを与えること」といった内容を述べられています。それが、競技をプロの仕事として成立させる要素であり、具体的な行為としては試合で勝つこと、と理解していいのですか。
為末:そうです。陸上選手が海外のグランプリ大会とかに招待されて、出場料や賞金などを受け取っても、世界ランク10位くらいだと年収で200万~300万円程度にしかなりません。これではやっていけません。プロとしてやっていくためには、まず、競技でインパクトを与える。それには勝つことがいちばん手っ取り早い。そして、知名度を高めていって、スポンサーを取ってくる、ということが多かれ少なかれ必要になります。芸能人のビジネスに近いと思っています。
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