昨年12月27日付のデジタル毎日に、こんな記事が掲載されているのを見つけた。平井卓也デジタル改革担当相がテレビ番組で、オリンピックでの感染対策について述べたものだ。外国からの訪日客をGPS機能で追尾するシステムを開発中だという。「使ってもらわないと入国させないというところまでやらないと効果がない」としたうえで、「こういう事態だからそれも許されると思う」と発言したという。(入国者追跡システムを開発、義務化の意向 平井担当相 東京オリンピックまでに 毎日新聞 2020年12月27日配信)
スマホのアプリを感染対策に生かす施策だと思われる。コロナ禍でのオリンピックを成功させるためには、この程度のプライバシー侵害は我慢してほしいということなのだろう。アタリ氏の懸念は、すでに現実のものとして、目の前に迫っていることに気づかされる。だが、そのことを問うメディアは見当たらない。
不自由な社会が待ち受けているかもしれない
非常時の政府の権限強化が監視社会を招くことに警鐘を鳴らしているのが、イスラエル出身の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏だ。『緊急提言 パンデミック』(河出書房新社)という著書のなかで、こういった緊急措置は、危機が過ぎれば元の生活に戻ると思うのは「幻想だ」と指摘する。
「緊急事態や緊急措置は独り歩きを始めがちで、当初の状況が変化してから長い時間が経っても、継続する」
罰則規定やプライバシーを損ないかねない監視システムが合法的に認められた場合、この非常時が過ぎてからも、私たちには不自由な社会が待ち受けているかもしれないとの指摘だ。
「私権の制限」は、ともすればイデオロギーに基づく空中戦の議論になりかねない。だが、「尊厳」と「分断」という人の痛みを伴い、そのことが感染症と対峙する非常時だけでなく、平時にも援用される前例となる危うさをはらんでいたりすることを自覚したい。アタリ氏やハラリ氏の警告は、妄想ではないはずだ。
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