尾身氏は、よく「肝(きも)」という言葉を使う。最も伝えたい提言を説明するときの口癖だ。なかなか感染拡大が収まらない焦りからか、「肝」を「急所」と言い換え、「コロナウイルスの弱点」という意味で使ったのだろう。だが、飲食店側に立ってみれば、自分に向けられた言葉として、心をえぐられる。
Aさんは、ずっとひとりで店を切り盛りしてきた。昨年は稼ぎどきの12月に入っても、客足は前年同期の4分の1に落ち込んだ。27営業日のうち約半分の14日間、客はゼロだった。店奥にある背もたれのない丸いすに座って、客を待ち続けている。
15坪ほどの店内にあるテーブルは、天井から吊るした分厚いビニールでそれぞれ仕切った。お立ち台の前のパーテーションは、足元まで覆った。消毒を含めて、これ以上できないほどの感染対策を講じたつもりだ。「絶対に自分の店から感染者を出さない」と言うのは、生真面目な彼の意地でもある。
偏見や差別を助長する言葉が分断を広げる
第1波のときには2カ月間、店を閉めた。緊急事態宣言が解除されたと思ったら、第2波では"夜の街"がターゲットになった。持っていき場のない悔しさを抱え、趣味のランニングをしながら、「明けない夜はない」と、心を奮い立たせてきた。彼はウイルスというより、社会の偏見と闘っているように見えた。
そして、再び緊急事態宣言が発出され、時短要請は午後8時に繰り上げられた。彼自身、経済を止めてでも感染制御に全力を尽くすべきときであるのは理解している。だが、新聞の見出しにも「急所」が使われるのを見ると、心は萎える。テレビでも「急所の飲食店」と繰り返し報じられるなど、いまやキャッチフレーズになった感さえ否めない。
この「急所」という言葉は、人々を無意識のうちに「分断」へと向かわせていないだろうか。これまでも、帰省した人への嫌がらせ、感染を広げていると名指しされている若者への反発、命と向き合っている医療従事者への差別も深刻な問題だった。さらには、「コロナは単なる風邪」という非科学的な言説を信じている人たちも少なくない。緊急事態宣言下でも、人出が減らない遠因のひとつになっているとみられる。
こういった分断を助長しかねないのが、政府内で検討されている新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)や感染症法をめぐる動きだ。
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