新大久保を書き尽くす46歳ライターの快活人生 バックパッカーはタイを経て日本に戻ってきた

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室橋さんは『Gダイアリー』の会社に入ったので、労働許可証をもらい就業用のビザを取得し堂々とタイで暮らすことができるようになった。

『Gダイアリー』では、副編集長というポジションになった。ただ編集長と副編集長のみの2人体制の編集部だったこともあり、室橋さんも自らどんどん取材をして記事を作った。

「コンビを組んでいたカメラマンと2人で、タイ国内を駆けずり回って記事を書いていました。給料は6万バーツ(日本円で約18万円)と現地ではまずまずの金額でした。また週刊文春などで引き続き原稿を書いていたので、金銭的には問題ありませんでした」

室橋さん自らどんどん取材をして記事を書いていたという(写真提供:室橋裕和さん)

室橋さんは、過去を思い出しながら、

「当時はどうなってもいいやと思っていた」

など自暴自棄ともとれる言葉を口にする。

ただそれとは裏腹に、話を聞いているとかなり慎重に計算して人生を渡っているという印象を受けた。

「ビビリなので、貯金は考えますね。いざとなっても助けてくれる、嫁も家族もいませんから。しっかりと計算しながら、サボるタイプですね(笑)。

『Gダイアリー』の仕事は非常に楽しかったです。やりたいことはほぼなんでもやらせてもらえたし、相棒のカメラマンがすごいいいヤツなんですよ。今でも大親友で、彼は今でもタイにいます。読者も『Gダイアリー』を愛してくれていて、やりがいを感じていました」

だが働いていくうちに、会社に対してわだかまりが生まれてきた。

あるとき、編集長と室橋さん、カメラマン、営業マンが、一斉に会社を辞めて、新しい会社を立ち上げた。

同時に『Gダイアリー』で書いていたライターや広告主も引き抜いた。

「いわばクーデターですね。名前だけを変えて新星『Gダイアリー』を作り直しました」

東日本大震災とタイ大洪水が重なって…

室橋さんらが独立したのは2011年の3月だった。

独立してすぐに、東日本大震災が発生した。日本企業は大ダメージを受けたし、タイに行く人の人数も減った。不幸は重なって、その年にタイ国内で大洪水が起きた。

「日本もタイも混乱している中、新しい媒体を立ち上げるというのはかなり厳しかったですね。

それに『Gダイアリー』という名前は思ったよりも大きかったです。自分たちが作り上げた看板と対峙することになりました。『Gダイアリー』は引き続き発行していましたから、そちらを買う人も多かったです。本の内容では自分たちのほうが勝っているという自負はありましたが、それでも読者は増えず、広告も増えず、2年で休刊することになりました」

2013年末。室橋さんは39歳になっていた。

その頃には編集長も相棒のカメラマンも、タイ人の女性と結婚して家庭を持っていた。

「長年タイに住んでる日本人はタイ人と結婚する人が多いですね。タイで商売をするには、タイ人と結婚していたほうが断然便利です。僕は10年暮らしたけど、そういう縁はありませんでした。もう40歳だから多分今後もないだろうな、と思いました。それもあって『もうタイはいいかな?』と思いはじめました」

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