新大久保を書き尽くす46歳ライターの快活人生 バックパッカーはタイを経て日本に戻ってきた

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その頃は、バブル経済がはじけた就職氷河期だった。たとえきちんと就職活動をしても、就職できない人がたくさんいた。

「親が『頼むから就職してください』って泣きながらリクルートスーツを買ってくれました。1~2社交通費が出る会社だけ行きましたけど、結局面接すら受けませんでした。

とにかく当時は、

『就職なんかどうでもいい!! 人生がどうなろうと知るか!! それよりなにより旅がしたいんだ!!』

と思っていました」

室橋さんは就職難を逆に好機だととらえた。

「就職難だから、就職はしたいのだけど仕事が見つからない」

と親に言い訳をして、そのまま旅に行くことにした。

「卒業後は就職せずにフリーターをしながらスリランカ、インド、東南アジアを旅しました」

室橋さんの当時の友達は、学校やアルバイトで知り合った人よりも、旅先で出会った人のほうが多かった。

エジプトで知り合った1つ年上の友人と、日本へ帰国した後もよく遊んでいた。友人は真面目に就職活動をして、とある編集プロダクションに入社した。その編集プロダクションは、旅行モノの本をたくさん制作している会社だった。

ちょうど世の中は『進め! 電波少年』の猿岩石の企画『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』が大ブームになっていた。番組をきっかけにバックパッカーブームが起きていた。

バックパッカーの本をほぼ1人で書いて出版

友人の会社でも

「バックパッカーの本を作ろう」

ということになった。

「それで僕に話がきました。僕もルポを書きたいという気持ちはずっとありました。面白そうだし、チャンスかもしれないし、話に乗ってみることにしました」

室橋さんは非常に真面目に企画を練った。

企画趣旨を考え、ターゲットなどを絞り、台割(本の設計図)まで自分で切った。その結果めでたく企画は通り、なんとほぼ室橋さん1人で本を書くことになった。

そして数カ月後、『バックパッカーズ読本』(双葉社)は発売された。

「この本が実質的なデビュー作になりました。これが非常に売れました。発売されてすぐに重版がかかりました。発売から20年以上経ちますが、リニューアルを重ねていまだに売れています」

そこからはフリーライターとして仕事が舞い込んできた。

今までの海外での経験をアウトプットしたり、新たに取材旅行をしてムックや単行本の制作をしたりした。短期間に4~5冊の単行本を作った。

「旅関連の仕事ができたのはうれしかったですが『これでは食っていけないな』というのが正直な気持ちでした。平均すると、月20万円も稼げていなかったですね。

例えば『インドに取材に行ってきて』と編集部から言われて、7万円が渡されたりしました。7万円では航空券代にしかなりません。今思えば非常に安い取材費なのですが、当時は『航空券出してくれるんだ!! あとから原稿料もくれるらしい!!』と無邪気に喜んでいました。

とにかく旅がしたいという気持ちだけで、金銭的な文句を言わない僕は、絶好の搾取対象だったと思います。

それにまだ若造ですから、人脈も経験もありません。企画を思いついても、持っていく先はあまりないですし、たとえ企画を出しても通りませんでした」

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