高級寿司屋の大将が怖くても許される納得理由 客には「徹底的に尽くすのがいい」の落とし穴
高級フレンチも同じだ。客はテーブルに座らされた後、店員が出てくるのをひたすら待たされたりする。そしてやっと現れた店員は、ワインリストやメニューを持ってくると、「ご注文をどうぞ」とそのまま立って待っていることがある。客をさんざん待たせる割に、自分は待たない。
さらにメニューは品書きがあるだけで、詳しい説明も写真もない。こんな感じだ。
「ラングスティーヌ 軽くて香ばしいゴーフレットに」
この一文だけでわかるだろうか? 私には、どんなものが出てくるかチンプンカンプンだ。
必ずしも高級サービスに限らない。例えばスターバックスでは、ドリンクのサイズはS・M・Lではなく、ショート・トール・グランデだ。「ショート=Sサイズ」という補足説明もない。アメリカではさらに大きなベンティ、トレンタというサイズもある。しかもイタリア語なので、アメリカ人もわからないという。
彼らはなぜわざわざ、サービスをわかりにくくしているのか?
満足させようとすると、客は満足しない
サービスには「提供側が客を満足させようとするほど、客は満足しなくなる」というジレンマがある。提供側が「客を喜ばそう」と頑張ると、客は「この人は私を喜ばそうとしている」と受け止める。この瞬間に上下関係が生まれる。客の立場は上になり、提供者は立場が弱くなる。つまり客は、下の立場からのサービスの価値を低く感じてしまう。だから、高級サービスほど高飛車な姿勢が必要になるのだ。
すし屋の親父は、頑固で無愛想に「自分のために仕事をしているんだ。お客なんて関係ねぇ」という姿勢を貫くからこそ、客はその価値をありがたがるのだ。そして、客はそんな人に認めてもらいたいと考えるようになる。何度も通いつめ、もし怖いすし屋の親父に「おう、来たか!」と言われると、とてもうれしくなる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら