高級寿司屋の大将が怖くても許される納得理由 客には「徹底的に尽くすのがいい」の落とし穴

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逆に怖いすし屋の親父がニコニコして客を出迎えて、「ウチはいつもお客様のために仕事をしたいんです」とメニューをサッと差し出し、「今日はいいのが入ってますよ。白身が最高です。おつまみに切りましょうか」と親切に勧めてくれると、どうだろう?

これだとよくある当たり前のサービスだ。「大枚をはたいても行きたい」と思わなくなる。

フレンチやスターバックスが意味不明な言葉を散りばめるのも、「われわれのサービスはすぐにわからないほどすごいんだぞ」と伝えるためなのである。

このような高級なサービスは「相手のかゆいところまで察し、徹底的に尽くす」という発想からは生まれない。むしろ「サービスとは闘いである」という発想から生まれている。では「サービスとは闘い」とは、どういうことなのだろう?

「響12年」に梅酒が少量ブレンドされている理由

サントリーの名誉チーフブレンダー輿水精一氏は、ウイスキーの「響12年」をブレンドする際、わざと梅酒樽の原酒を少し混ぜたという。このことを客に伝えると、客は響12年を飲むときに味を探索するようになる。これが客にとって特別な体験になる。さらに世界のバーテンダーがそのうんちくを語れることも考えて、「響12年」はデザインされている。

料理も同じだ。大阪の日本料理店・柏屋では、若芽と筍による若竹煮で筍をペースト状にする。シャキシャキした食感が重要と思われている筍のいちばんの特徴を消し去る衝撃的な料理だが、これは食感だけが注目されて、忘れられがちな筍の甘味を味わってもらうための仕掛けだ。客はこの驚きとともに、料理の意味を読み解き始める。

この2つの例は、単にサービスを提供して客の要求を満たしているだけではない。提供者が酒や料理に何を込めているかを、客が読み解いているのだ。同時に客の読み解く力量も、提供者は読み解いている。つまり提供者と顧客がお互いに読み解き合っているのだ。

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