日本の中年男性「貧乏転落」が続出しかねない訳 新自由主義、自己責任国家が格差と分断を作る
藤井:自殺しちゃったんですか。
中村:熟年売春の取材でたまたま派手に自殺未遂した60代の女性から話を聞いたのですが、生きていけなくなって同年代の知り合いや友だちが次々自殺って。彼女が付き合っていた彼氏も自殺していて、理由は経済苦、生活苦のみ。自分も含めて、誰も生活保護の制度は知らなかったようです。
藤井:僕の母親は、岐阜の地方都市で民生委員を長らくやっていまして、地域社会の貧困老人たちを行政につないだり、1人暮らしの老人が孤独死しないよう見守りしたりと、毎日飛び回っています。こんな民生委員の仕事ができるのもまだ地域社会が機能している田舎だから。
実は民生委員は行政の最末端組織として、日本の社会福祉制度と住民とをつなぐ、きわめて重要な役割を持っているのですが、もはや民生委員のなり手さえいない状態。都市部ではとくに。だから、制度があっても利用できない、あるいは少しうがった見方をすれば、利用させないで済む状態が続いている。
中村:「そうした苦しい状況をどうすればいいのか」とみんな言うけど、行政は窓口の対応さえ統一できないんだから、どうにもならない気がする。条件がそろっていれば支給する、条件に満たなければ不支給にする、ということもバラツキがある。生活保護の窓口は生死の境目だと思うのですが、自治体にそういう意識がないかも。
制度に守られてきた男たち
藤井:男性は介護現場では使えない、ということでしたが。
中村:介護現場を経験して、一括りにするなと言われそうだけど、相対的に男性がいかに役に立たないか、また女性がいかに能力が高いかに気づいたんですよ。さっきも言いましたが、彼らは硬直化していていいところがない。ポスト工業化社会になったことと、雇用がジョブ型へ移行したのが重なって、いままで男性が偉そうにしていたのは政治によって優遇されていただけ、ということが暴かれてしまった。代わりに女性に能力があることもわかり、サービス業では、その力を発揮できる。
ネオリベを導入した当初は、女性の雇用が非正規に転換され、中年男性は特別に守られながら日本型雇用は維持されました。日本の男女は非対称ですね。介護現場を見ていて、そのことをつくづく実感しました。
藤井:守られているといっても、ごくわずかな男性ですよね。平成をとおして、ある世代あるいはある職業の男性たちも政治や社会に見捨てられ、不安定で不確実な生活を強いられてきました。その代表が、就職氷河期世代です。
中村:守られているのは、ある一定の年齢から上の男性ですね。
僕はそれまで、自分自身の目の前の事象に政治がかかわっているということに興味がなかった。現実は政治が貧困を作りだしたり、社会生活の根本である雇用を調整したりしている。政治と一人ひとりは関係するのだと、介護現場を眺めて強烈に知ることになりました。自分はそのタイミングだったけど、なにかがおかしいって、個々人それぞれで気づく瞬間が違うと思う。
このところの選挙での投票率の低さを見ていると、大部分の人はまだ政治が生活に直結しているとは思ってないのでしょう。やっぱり平成の後半で起こったことには、いちいち違和感があって、団塊の世代が全員定年を迎えたタイミングで働き方改革みたいな議論がはじまった。そして人生100年時代といいながら、企業は定年45歳制になるような流れがある。徹底した団塊の世代の優遇というか……。
藤井:介護の現場に関係することで、日々の生活と政治とかのつながりを明確に自覚されたというお話、とても興味深いですね。つながり自体は、明確なのだけれど、普段の暮らしの忙しさやルーティン化のなかで、なかなかそれに気づくことができない。
中村:人生100歳とかいって長生きとか高齢者福祉を推奨しながら、女性や若者のまともな雇用を奪い、そして団塊ジュニア以下の中年男性は45歳で社会から放りだされるという。あきらかにおかしいことが進行している感じがする。現役世代を徹底軽視して、高齢者を優遇することにすごく違和感を覚えますね。