武蔵の国にたどり着く。マジで面白いトコない。海辺も白砂じゃなくて、泥みたいだし、紫草がこの辺りに咲くというんだけど、どこよ?蘆や荻ばっか高く生えていて、馬に乗った人の持つ弓の先すら見えないありさま。その中をかき分けていくと、竹芝という寺がある。
文学を介して想像していた景色と、目と鼻の先に見える現実の間にあるギャップはあまりにも大きい。サラちゃんは、旅中に同じような落胆を度々経験することになるが、その一つひとつのがっかりは、作品の根底にあるテーマを裏付けるものになっている。「物語を信じて夢を見ていた私はバカだった」と。
『更級日記』に記載されている場所をすべて地図に並べて、旅の行程を研究した学者もいるが、どうも順番が入れ替わっているところや、当時の交通事情を考えると実際行けたかどうも怪しいところがあるそうだ。
本作は晩年の作品なので、記憶が曖昧になっていたことも考えられるけれど、重要なポイントになっているその「がっかり感」を強調するために、サラちゃんがあえて地名の順番を操作している説が有力。
「武蔵の国」でサラちゃんが聞いた物語
文学に対する不信感が日記の中でじわじわと募り、やがて心から愛していた物語もウソっぱちであることが明らかになる。都会に住めても、宮仕えに出ても、源氏様のようなカッコいい人はいないし、『万葉集』に描かれているような、メラメラ燃え上がる情熱もありやしない。そして、鳴かず飛ばずの残念な人生を歩み終えたサラちゃんは、最後に仏教に安らぎを求める。
しかし、それは本当に彼女が言い残したかったメッセージなのだろうか。それを確かめるべく、いったん何の変哲もない場所、武蔵の国に再び戻ってみよう。
高く生い茂る蘆や荻に隠れた竹芝という寺に着くと、少女は何気なくその寺院の由来を尋ねるが、現地の人は強いなまりで素敵な伝説について語り始める……。
昔々、武蔵の国から派遣されて、都で火焼屋の兵士だった青年がいた。当時は街路灯がなかったので、兵士たちが火を灯し、偉い人たちの夜を守っていたわけだが、それは中々大変な仕事だった。疲れ切った青年は誰も聞いていないと思い、故郷に思いを馳せて愚痴をこぼす。
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