石破茂がいまだから語る「負け戦」に挑んだ真意 派閥のトップまで降板する必要はあったのか

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党員の多い東京都も3票、少ない沖縄県も3票、47都道府県の集計のやり方もドント方式のところがあり、勝者が総取りのところがありと、ある意味、不思議なルールで、私にとって有利でないものであることはよくわかっていました。

ただ、私が出馬すること自体に意義はあるはずだと思いました。それは何だったのかといえば、自民党は本来、国民政党であって、幅広い意見が許容されるべきである、ということを訴えるという一点でした。

憲法改正をとってみても、党内にいろいろな意見があって、9条ばかりをあまり急ぐ必要はないよ、という人もいれば、参議院の合区解消が優先だよ、という人もいるわけです。外交でも防衛でも、みんながみんな、「中国も韓国も北朝鮮もけしからん。日米同盟さえ強化すればいい」と思っているわけではなく、違う考え方も当然あります。

むろん自民党という枠がありますから、180度も政策が異なるということはないけれど、一定の枠の中でいろいろな考えがあるはずだし、党の運営にしてもいろいろな立場があってしかるべきではないかと強く思うのです。

「自民党総裁」のあるべき姿

自民党が下野していた2010年、谷垣(禎一)総裁の下、私は政調会長という立場で、自民党とは何か、どうあるべきか、ということを伊吹(文明)座長率いる「政権構想会議」において徹底的に議論し、新しい綱領を作りました。

自民党は、勇気を持って自由闊達に真実を語る政党である。自民党はあらゆる多様な組織と話をする政党である。自民党は、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる政党である。これが新しい自民党のあるべき姿であり、それを掲げて政権奪還したのです。

こうして自民党が再出発したのだという原点、これを皆さん、覚えておられますか、ということ。そして憲法についても外政や内政についても、私は前総裁とは違う意見を持っているということを表明し、議論を戦わせること。それが自民党総裁選のあるべき姿だと私は確信しているし、そこに意義があると信じたわけです。

結果的には大敗を喫しましたが、今回のようなルールの下でも、地方における党員票では相当の支持をしていただけました。それは私としては、本当にありがたく、またうれしかったことでした。

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