6人殺害で死刑回避、「心神耗弱者は減刑」の難題 被害者や遺族は苦しみ続ける

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ところが、この議決は無視され、医療観察法による入院が決まった。しかも、その審判でのことだ。

本来ならば非公開のものを、検察官のはからいで、Aさんの夫と長女だけが、男に気付かれないことを条件に、傍聴することが認められた。男と長女は、小学校から高校までずっと同級生だった。

男は検察官の尋問に、Aさんの家族が憎い、同級生だった長女も憎い、殺したい、とはっきり答えたのだ。その理由は判然としない。

通常であれば、こうして不起訴となり、裁判が開かれなければ、犯行現場で何が起きたのかも不確かなまま、どういう事情で犯行に及んだのか、どうして責任能力が問えないのか、遺族にはまったくわからない。「死刑にしてほしい」という遺族の処罰感情も無視される。

それどころか、不起訴になった時点で捜査資料も開示されることがない。しかも、わずか3年で捜査資料の全てが処分される。犯人が他の関係者を恨んでいたとしても、わからずに終わる。

さらに遺族を恐怖に陥れるのは、入院となった相手がいつ医療機関から退院してくるかわからないことだ。

いったい、どこの施設に入れられて、治療の効果や健康状態はどうなのか、そんな情報すら伝わってこない。医療施設を抜け出すことだってあるかもしれない。退院すれば、父親の暮らす向かいの家に帰ってくることだって考えられる。そうでなくても、憎い、殺したい、と語っている相手だ。いつ襲われるともわからない。

「一人で外に出るのも怖い」とAさんの長女は当時、私に語っていた。

裁判員裁判の判決も覆される

調べてみると、この事件の1年後の2010年5月には、医療観察法による入院治療を3カ月前まで受けていた男が、大阪市で男性2人の胸などを刺して殺害するという事件も起きている。

この九州の事件の起きた3週間後の5月21日からは、裁判員制度がスタートしている。仮にこの事件が通常どおりに起訴されていたら、裁判員裁判の第1号になった可能性が高い。だが、現実にはこの年の8月に東京地方裁判所から裁判員裁判は始まっている。

その裁判員裁判で導かれた死刑判決も、冒頭のように、精神状態を理由に覆される。裁判員の負担だけがむなしく残る。本当に5人、6人を殺害して極刑が免れることがあっていいのだろうか。それで遺族が納得するのか。裁判員もそこを悩んだはずだ。まして、不起訴処分となると人を殺しても裁かれることすらないまま、温かいベッドの入院生活が待っている。

「被害者、遺族からすれば、事件の真相もわからず、運が悪かった、ということで済まされてしまう。おかしくないですか」

そう語っていたAさんの夫の言葉が、いまも忘れられない。

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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