経営企画を経てオランダへ
三宅:製油所の次は何を担当したのですか?
玉井:当時、霞が関にあった本社の経営企画部です。33歳でした。その頃の石油業界は護送船団方式でしたから、各社とも他社と同じことをしていればよかったのです。クリエーティビティなど必要ありませんでした。私は各部署から出てくる数字から、販売計画や製造計画などを作っていましたが、「オレの出る幕はないな」という感じでした。それでも3年半いました。
三宅:でも経営企画となるとエリートコースですよね。
玉井:製油所にずっといて、いきなり経営企画に行ったのは、私が2人目だと思います。製造のことを知っている人を経営企画に入れておいたほうがいい、ということだったのでしょう(笑)。
そしてその後は1995年から97年まで、オランダのハーグにあるシェルの本部に出向しました。製造部門の担当役員が、あいつも経営企画に3年半いたから少しは遊ばせてやろう、と思ったのではないでしょうか(笑)。シェルとのクロスポスティングのようなかたちで、2~3年、オランダに行く制度があったのです。
三宅:オランダでは、どういうセクションの仕事だったのですか?
玉井:エナジーシステムズ&ユーティリティーズという、シェルが世界に20カ所か30カ所持っている製油所のユーティリティ、エネルギーシステムを最適化する部署にいました。当時のシェルは世界の製油所の標準化にすごくこだわっていて、設計、材料、仕様などが統一されていたのです。それをアップデートする人が必要なので、面白い仕事ではありませんが、みんなで分担してやっていました。私は当初、サハリンや中国のプラントの設計をする予定でしたが、どれもプロジェクトが進まなくて仕事が来ないという状況になっていました。そしたら、なんと今度はシェル側として、「エナジーコンサベーションスタディ」をすることになったのです。
三宅:それは面白い。今度は各国の製油所を回ってアドバイスする側になったわけですね。
玉井:そうです。手始めにサウジアラビアの製油所に3週間ぐらい行きました。私はユーティリティの専門家として、ほかに蒸留、分解設備の専門家など、5~6人の多国籍チームで行くのです。現場を見て、現場の人とディスカッションして、最後にこうしたらいいですよ、このぐらい儲かりますよと提言しました。現地に行く前に、製油所の1カ月分の運転データを送ってもらって、システム図を見ながら自分なりに考えて、ソリューションを丁寧に作り込んでから行きましたよ。
三宅:コンサルティングみたいですね。とても面白そうです。
玉井:その製油所のシステムを最適化するためには、このぐらいのサイズの発電機を入れて、ガスタービンはこういうサイズにして、こういう仕組みにすればぴったりフィットしますよ、と提案しました。あとは現地でディスカッションして、ほかの分野と調整しながら、多少変更します。フィリピン、チェコ、ノルウェーの製油所にも行きました。
三宅:随分と丁寧ですね。かつてそのチームが日本に来たときも、玉井さんたちにそのレベルの提案をしてくれたのですか?
玉井:いえ、そこまでやった人はいませんでしたね(笑)。だから、現地でも「ここまでやってくれるのか」と感謝されました。
三宅:周りの期待以上に、付加価値を出していった様子が目に見えるようです(笑)。製油所や発電への深い理解が、どのように石油会社での電力事業の立ち上げに生きてきたのかについては、ぜひ後編で伺いたいと思います。
(構成:仲宇佐ゆり、撮影:風間仁一郎)
※ 後編は6月4日(水)に掲載します
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