広島世羅「まずいワイン騒動」は何がまずいのか 「売れない特産品」を量産する地方の無責任構造

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「売れない特産品」には、必ず売れない理由があります。試作品の段階、あるいは発売開始時点から何らかの問題を抱えているのは当然です。最初からヒット商品が作れるのなら誰も苦労はしません。世の中には、改善に改善を重ねて、その末にヒットを生んだ商品が多数あります。それに比べて、特産品の多くは開発され販売されたはいいが売れ残り、それで終わりになっていく商品がいかに多いことか。

「責任者不在」のなかで作られる「無責任特産品」

なぜ全国でこうした惨状が繰り返されるのでしょうか。この理由としては、前述の「自治体の独自企画予算での大失敗」もさることながら、税金が使われる場合には「地域内協議会」が作られたり、「第3セクター方式」が採用され、それが失敗につながることも少なくありません。

こうした組織では、地元団体の偉い人たちが集まるのです。いわゆるさまざまな地元団体で代表や役員を務める「充て職」と言われる人たちは、自らの出身母体のことばかり考えます。例えば農業者団体なら農業者の代弁者として、商業者団体なら商業者の代弁者として、地元民間企業なら自社のため、といった具合です。

母体の損得を基本に考え、母体のメンツを第1優先に考えます。さらに言えば、これらそれぞれの団体や企業には「地域内のヒエラルキー(階層)」が存在し、下位の層が上位の層に逆らって行動することはご法度とされています。

このような空気感のなかで進められる特産品開発の最たる問題は、結局「事業責任者が不在」ということにつきます。事業に対して責任を持つのではなく、母体に対して皆が責任を持とうとするので、プロジェクトでの対立ばかりが起きてしまうのです。売れずに在庫の山になっても「それはうちの団体、うちの会社の責任ではない」とするわけです。最終的に何を言い出すかと言えば「そういう空気がある」とか「地域内の逆らえないヒエラルキーがあるから仕方ない」というような話になっていきます。

当たり前ですが、参加している各団体や企業の面子だけで商売できれば苦労はないのです。結果として特産品開発プロジェクトにかかわる、行政・団体・企業のすべてがどこか他人事の姿勢になり、成果が全く伴わないばかりか、改善の議論すら成立しなくなり、何かを言えば責任のなすりつけ合いになっていきます。

つまりは「いい商品にしよう」ではなく、「売れないというのはこちらをバカにしているのか」というような話になって、改善に向けた前向きな話にならないのです。こうして空中分解し、消滅していった特産品はそれこそ跡を絶ちません。

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