「私立にまで行かせてもらったのに、何をやっていたのかなと思います。ただ、本当にみんなに合わせて生活する必要があるのか?とすごく感じていたんです。自分のリズムで生活するのがそんなにいけないの?と。
次第に学校に行くのが煩わしくなり、勉強もやめました。大学に進学しても同じような状況でしょうし、早く社会に出ようと考えたんです」
社会人になっても自身の本質的な性格は変わらなかった。高校を卒業後、地元のパチンコ店やアルバイトを転々とし、両親からは「定職に就け」と諭される日々だった。
20代前半で携帯会社のカスタマーセンターでオペレーターとして勤務した。3年ほど勤めたこの職場では、OJTリーダーという役職を与えられた。自身の性格を「あっさりしているが、頼られるのは好き」と表現する高山さんにとって、初めて任された管理職は新鮮なもので仕事に打ち込んだ。
信頼を得るにつれて業務量は増えていくが、昇級しても肝心の給料は上がらない。次第に人間関係にもこじれが生まれ、やりがいを見いだせなくなり、退職を決意する。実家暮らしで、金銭的に苦しくなることはなかった。それでも、何もしない日々は手持ち無沙汰で退屈した。
やる気がないのにあっさり採用
父親から紹介されたタクシー会社の面接を受けにいったのは、20代半ばを迎えた頃だった。運転免許は持っていたが、ほぼペーパードライバー。まったくやる気もなかったが、あっさり採用が決まったという。
「特に何か聞かれるわけでもなく、『明日からよろしく』と。こんな緩くていいの?と驚きました。正直、タクシー業界にまったくいい印象を持っていなかったので、やっていけるのかな、と不安はありました。『襲われたらどうしよう』とか『酔っぱらいに絡まれたら嫌だな』とか。
どこか『恥ずかしい』という気持ちもあった。いまだに友達にも職業を話せていないのは、そういう部分が残っていると思うんです。
ところが、実際働き出してみると『何この自由な環境。お金も稼げるし』とカルチャーショックを受けた。毎日がフレックスみたいな職場で、少なくとも私が経験してきた仕事とは違う時間軸で動いていました」
20代のペーパードライバー女性社員という物珍しさも勝ったのか、先輩ドライバーたちは業界のイロハを事細かく教えてくれた。そして、乗客たちは想像の何倍も優しかったという。
入社当初は道を間違えても怒られることも少なかったが、それでも懸念されたような理不尽な顧客はほとんどいなかった。6万円程度を売る日も珍しくなくなり、次第に仕事の面白さも理解していく。
「タクシー業界にはお金が落っこちている」
先輩ドライバーから言われたこの言葉を心に刻み、3年ほどはしゃにむに働いた。気がつけば前職から収入は倍以上になった。12月などのピーク月は120万円ほど稼ぎ、営業所でも上位のドライバーとなるまでに多くの時間は要さなかった。
「最初は『すぐ辞めてやろう』と決めていたんですが、次第に『結構面白いな』と気持ちが変化していった。経験不足を体力とやる気でカバーできたんです。やればやるだけお金になるという業界が、性格的に合っていたのも大きかったと思いますね」
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