海外出身、「商社美女」の生き様 グローバルエリート流、セクハラ撃退法??

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子どもの頃の私はいわゆる「箱入り娘」でした。教育のために海外の家や学校を転々としたり、受験の邪魔だからと恋愛や友人と遊ぶことを禁止されたり。母はとてもソフトな人ですが、私の教育にだけはとても厳しかったです。「この問題ができないと夕食抜き。朝までに解けなければ朝食も抜き」と言われて、結局一日中食事ができなかったこともあります。それでも大好きな両親の笑顔が見たかった。親に反発したことはありません。一発で解けない自分が嫌いでした。

猛勉強していたら、もともと両目とも2.0あった視力が0.03と0.02まで落ちてしまいました。学生時代にレーシックをやるまでは、分厚い眼鏡をかけた「がり勉ちゃん」だったんですよ。

親の希望の中で生きるのではなく、自分が進む道は自分で決めて後悔しない人生を送りたい、と思ったのは14歳のときです。モンゴルの大草原で馬とともに走る経験をして、夜は何千もの流れ星を眺めて、自然の雄大さと自分の存在の小ささに気づきました。大自然が私に大切なことを教えてくれたのです。医師になるのは親の夢で、自分の人生ではない、と。

自分には4つの血が流れている

――モンゴルの旅で自己発見、というのは日本人だとありがちな現実逃避な気がします。でも、北京に住んでいる女子中学生の体験だとリアルですね。隣の大自然ですから。その結果、日本で暮らすという決断をしたのはなぜでしょうか。

私には日本を含めて4つの血が流れています。「故郷はどこ?」と聞かれたときに考え込んでしまうのですが、一番印象に残っていて親しみと住み心地の良さを感じるのが幼い頃に過ごした日本です。

早稲田大学の国際教養学部を卒業したのは2011年9月。就職活動をしていた3月に大震災があって……。海外に出たり、中国で父や叔父の会社を手伝う選択肢もあったのですが、いろいろ考えて「私は日本が好きだな。日本人の男性と結婚してお母さんになりたい。海外に出ると(出会いの)チャンスが減っちゃう」と思い、日本で就職をすることに決めました。

最後まで迷ったのが、大手外資金融と外資コンサルといま在籍している総合商社です。外資金融は内定をいただいたのですがシンガポールの拠点で働くのが条件だったのでお断りしました。外資コンサルは最終面接で驚きのエピソードがあります。

――その前に、「日本人の男性が好き」の部分を詳しく聞かせてください。どのへんが?

上品で、謙虚で、人の立場に立って考えてくれて、オシャレだから。オープンな心と心で触れ合える人が多いと思います。いいダンナさんでありパパでもある人を社内でたくさん見て来ました。女性も魅力的です。姉妹のように親しい関係になれた女性もいます。

――総合商社にはカッコいい人が多いですからね。一方で、典型的な男社会でもあると思います。美人であることでメリットやデメリットは感じますか。

 私は自分を美人だと思ったことは一度もありません。顔立ちは外人寄りなのでコンプレックスです。伝統的な日本企業である商社に馴染まないのでは、とも思っています。日本では「かわいい系」がモテるとも聞いています。私は外見で肉食系女子に見られがちですが、実際は恥ずかしがりなんですよ。

商社は確かに「ザ・男社会」なので、女性というだけで珍しがられて可愛がられることもあります。一方で、それなりの苦労もありますよ。お酒の席での「よ~、姉ちゃん」的なライトなセクハラです。

対処法としては「女を捨てる」という手もあると思います。髪を短く刈り込んだりして女を感じさせない手法です。私がとったのはその真逆。「エロにはエロで返して笑いに変える」戦法です。 

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