――高校生まで中国などで過ごしていたそうですが、英語や日本語はどこで勉強したのですか。
幼いときにロスとバンクーバーの親戚宅でそれぞれ1年ほど過ごし、北京にいた高校時代の3年間はネイティブの家庭教師について毎日4時間ほど英会話を学びました。ワシントンDCの大学に2年間留学をしたこともあるので、英語は身についています。
少し不得意なのは日本語です。2歳から小学校3年生までは日本で生活をしていたので、日常会話はそれほど苦労せずに思い出しました。でも、敬語は難しかったですね。学生時代に新宿の外資系ホテルのバーでアルバイトをしていたとき、お客様に「ちょっと待ってね」と言ってしまって先輩にダメ出しを頂戴したこともあります。
「話し方がデヴィ夫人に似ている」と誉められるまで上達した今でも、複雑な商談の場合は、中国語か英語でいったん考えてから日本語に直して話しています。今日も緊張しているので、1、2秒ぐらい話すリズムが遅れていますよね。すみません。
自宅にメイドさん??
――いや、まったく気になりません。北京大学の入試は日本語学習よりも大変でしたか?
そうですね。大学受験は私の人生の一大イベントでした。中学と高校も北京大学の付属校でしたが、推薦枠などはありません。中国は人口が多くてすごい競争率なので、3時間ぐらいの平均睡眠時間で勉強しました。食事も机に座ったまま。メイドさんがメキシカンロールみたいに片手で食べられるものを手渡してくれる、というありさまです。
――自宅にメイドさんがいるという家庭環境は、中国のエリート層では一般的なのでしょうか。
いえ。北京でも普通ではないと思います。その分、日本でアルバイトを4つもかけもちしていた学生時代はものすごく苦労しました。せっかく合格した北京大学に行かないことに両親は大反対で、「日本に行くなら仕送りは一切しない」と言われてしまったので……。電車の乗り方もわからない、洗濯のやり方もわからない。だけど生活費と学費を自分で稼がなくちゃいけませんでした。
――苦労して合格した北京大学に行かなかったのはなぜですか?
私にとって北京大学医学部合格は、進学のためではなくて両親へのはなむけだったからです。
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