「愛情ホルモン」が脳に与える無視できない影響 「小学校の先生の名前」を忘れない脳の不思議
お母さんから注がれる愛情は快いものであり、発育に重要な物質でもあるので、オキシトシンはつねに欲しいものなのです。頻繁に抱っこをせがんだりするのも、この時期ならではでしょう。このとき親が気まぐれに愛情を注ぐと、どうすればオキシトシンを出せるのか、必死で工夫しようと、子どもの脳なりに頑張るのです。
たとえ仕事が忙しくて、いつも子どもと一緒にいることができなかったとしても、子どもとの間に条件付きでないきちんとした愛情関係が結ばれていれば、多少離れていたとしても、そう心配することはありません。
昨日のことを忘れ昔のことを覚えている記憶の不思議
中野:親(養育者)との絆には、もちろんオキシトシンによって築かれた愛着の構造もあるのですが、子どものときに作られた記憶も大切ですね。
例えば、小学校の初めの頃に習った先生のことはよく覚えているのに、大学のときの先生はあまり覚えていない、という現象が起こります。あるいは小学校の給食で出た揚げパンがおいしかったとか、そのようなことはよく覚えているのですが、昨日の朝、あるいはお昼に何を食べたかは覚えていない……人間の記憶とは不思議なものです。
実は、記憶は、1つのレイヤーから成るのではなく、何種類ものレイヤーから成るのです。例えば電話番号などは簡単に覚えることができるのですが、すぐに忘れてしまいます。これは「ワーキングメモリー」というものの働きなのです。
さらに、記憶力にも種類があります。「短期記憶」「中期記憶」「長期記憶」。その長期記憶も「陳述記憶」と「非陳述記憶」の2種類に分けられます。言語化できない記憶のことを非陳述記憶といって、「条件付け」や「慣れ」がそれに当たります。
非陳述記憶には、「手続き記憶」というものもあって、歩き方や自転車の乗り方、泳ぎ方などが代表的なものです。泳ぎ方を一から言葉で考えて、動きの要素を意識的に理解して遂行しようとしたら、おそらく溺れてしまうでしょう。
一方の陳述記憶は、言葉にできる記憶です。これは「意味記憶」と「エピソード記憶」に分けられます。
このような記憶ですが、大人になってから作られる記憶は「海馬」という脳の部位で形成され、脳内のいろいろな場所に貯蔵されます。例えば新しい言葉を覚えるとき、海馬が記憶として形作り、側頭葉のなかのデータの貯蔵庫に溜め込んでいくのです。
そして、この大人になってから覚えたことは、頻繁に取り出さないと思い出しにくくなります。よって、大学の先生にお会いしても名前が思い出せない、顔は覚えているのだけれど、名前はうろ覚えだ、などということがしばしば起こるのです。このときの記憶は陳述記憶のなかの「意味記憶」ですが、これはそんなに強固なものではないのです。
これに比べて、長期記憶でも陳述記憶のなかにある「エピソード記憶」は、かなりよく保存されることがわかっています。自分の身に起こった出来事を覚えている記憶なので、「出来事記憶」とも呼ばれています。意味記憶とエピソード記憶は対になるような概念です。
小学校の先生の名前をよく覚えているのは、両親以外の大人に初めて密接に接したという経験に刺激されて形作られた記憶です。ゆえに「エピソード記憶」としてよく保存されるのでしょう。
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