アキオさんは千葉県出身。学校の成績は「中の上くらい」で、本や新聞を読むことが好きだった。一方で運動は苦手。引っ込み思案で友達は少なく、要領もよくはなかったという。子どもたちが数人の班に分かれて行う家庭科の調理実習では、何をやっていいのかわからず、てきぱきと役割をこなすクラスメートたちの横で、結局キュウリを洗うことしかできなかったことを覚えている。
関東圏の私立大学を卒業後、最初に勤めた会社は1年もたなかった。短期間に転職を繰り返すアキオさんを心配した両親から「今回は土下座してでも、続けさせてほしいと会社に頼みなさい」と言われたこともある。
ある会社を辞めたときは、両親に合わせる顔がないと思い、ネットカフェで夜を明かした。ところが、普段無断外泊などしないのでかえって心配をかけてしまった。翌朝、自宅に電話をすると、同じく一睡もしていなかった母親から「帰っておいで」と泣かれたという。
学校を卒業するまでは大きな問題はなかったのに、社会人になった途端、歯車が狂い始める――。言い知れない不安はアキオさんだけでなく、家族をもさいなんでいた。
30代になり非正規雇用になることが増えた
20代半ばで精神科を受診したところ、強迫神経症と診断された。しかし、処方薬の副作用が強く、困った揚げ句別の病院で受診。ところが、そこの医師からは「本当の強迫神経症は、部屋にひきこもって出られなくなってしまうもの。あなたはそこまでではない」という趣旨のことを言われ、診断そのものを否定されてしまったという。当時はまだ医療関係者の間でも「大人の発達障害」への理解は不十分だった。
30代に入ってからは、転職先の雇用形態は非正規雇用になることが増えた。毎月の手取りは15万円ほど。実家暮らしだからなんとか生活できる賃金水準に落ち込んだ。
ちょうどこのころ、発達障害のことを取り上げた新聞を読んだ両親から勧められ、再び精神科を受診。その後、数年間にわたっていくつかのクリニックに断続的に通い続けたところ、ある病院でようやく本格的な検査を受け、自閉スペクトラム症(ASD)の診断を得ることができた。
「それまで、こんなに困っているのにどうしてとずっと悩んできました。(診断により)原因がわかってホッとしました」
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