ロールスロイスが高級車の代名詞になれたワケ 経営破綻・身売りを経て19年に最高売上を達成
始まりはロールスとロイスのランチミーティング
イギリス、マンチェスターの老舗ホテル「ザ・ミッドランド・マンチェスター」の入り口には、1枚のプレートが掲げられている。記されている言葉の和訳は、こうだ。
「1904年5月4日、チャールズ・スチュワート・ロールスとフレデリック・ヘンリー・ロイスはこのホテルで顔合わせを行った。そのミーティングは、ロールス・ロイスの形成へとつながった」
チャールズ・スチュアート・ロールスは、貴族の出身のレーサーであり、自動車の輸入販売も行っていた。
一方のフレデリック・ヘンリー・ロイスは、電気技術者だった。購入した自動車に満足できず、自ら自動車製造に乗り出す。開発した車は「10HP」。ロールスは、この車のテストドライバーを務めたひとりだ。
フランス車を輸入販売していたロールスは、優秀な国産(イギリス)車を販売したいと思っていた。彼はロイスの開発した「10HP」が非常に優秀だと気づき、冒頭のザ・ミッドランド・マンチェスターでロイスとのランチをセッティング。
ロイスが製造するすべての車をロールスの会社で独占販売する契約を打診する。ロイスの答えは、もちろんイエスだった。
1904年の創業以来、2気筒の「10HP」、3気筒の「15HP」、4気筒の「20HP」、6気筒の「30HP」と車種を増やすロールス・ロイス。
この頃から、ロールス・ロイスのデザインアイコンであるパルテノン神殿をモチーフにしたグリルが採用されるようになった。
余談だが、ロールス・ロイスの象徴であり、フロントグリルの上に鎮座する「スピリット・オブ・エクスタシー」は、自動車雑誌の編集者がマスコットとして装着。1911年頃から公式マスコットとなった。
第二次世界大戦前は、主にエンジンや足回りなど“シャシー”部分をロールス・ロイスが、ボディや内装は名門コーチビルダー(馬車製造業出身も多い)が手掛けていたこともあり、多くの富裕層を獲得してきた。