(第4回)金融面と実物面で世界的なバブルが拡大

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 長期的に見れば、冷戦の終結で軍事費に対する支出が減少し、その減少にほぼ見合うだけ消費が増えた。個人消費の対GDP比は、80年代の半ばまでは60%台の前半で安定していたが、87年ごろから傾向的に上昇し、02年には70%を超えた。この意味では、アメリカの消費ブームは、「冷戦の配当」だ。

もっとも、01年以降の期間について見れば、イラク介入の影響などもあって、連邦政府の軍事支出は増加した(01~07年の平均伸び率は9・1%)。この期間の国内支出の増加は、借り入れ増によって実現した面が強い。住宅投資や企業投資は、もともと借り入れで賄われる部分が大きい(同期間の平均伸び率は、どちらも4・9%)。

それだけでなく、消費一般が消費者金融によって支えられていた面がある。アメリカの個人貯蓄率は80年代には10%を超えていたが、05年には1%台にまで低下した(アメリカ個人貯蓄率)。個人借り入れの多くは住宅を担保としているので、住宅価格の値上がりが消費増を支えたと言える。

アメリカは輸入で国内支出増を賄った

以上で見た国内支出の増加は、アメリカ国内の生産を増やしたというよりは、アメリカの輸入を増やした。これは80年代、90年代の貿易摩擦の中で、アメリカの製造業が衰退していたからである。輸入が増える一方でアメリカの輸出はさして増えないので、貿易赤字が拡大し、経常赤字が拡大した。実は、この経路を通じて、アメリカの経済拡大は世界経済とつながっていた。一見して関係がないように思われる日本とも強くつながっていたのだ。

アメリカの経常赤字は、80年代にも増加したことがある。このときポール・クルーグマンが、「経常赤字は持続可能ではなく、いつか破綻してドル危機が起きる」との問題提起をした。ただ、このときの赤字は、85年のプラザ合意を契機としてドル安が進行したために縮小し、90年には黒字になった。しかし、91年から再び赤字が拡大し始めた。そしてほぼ継続的に拡大を続けた(アメリカの経常赤字は01年から07年の間に1・9倍に拡大)。これは為替レートがドル高になっていったためである。

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