名門「麻布」卒業生の生き様に見えた自由の本質 わが子を「ヘタレ」にしないためにできること

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「自由と責任」という対比はさまざまな学校で語られるし、それくらいならおそらく小学生でも理解できる。それは自由の初級編。次の段階として、自分の自由が守られるためには相手の自由も保障しなきゃいけないことを麻布生は学ぶ。でも、これもまだ初級編の自由とあまり次元は変わらない。ときどさんが「初めて自分の声が聞こえた」と描写したように、それまで無意識のうちに自分を縛っていた価値観や思い込みに気づいてそれを手放し、自分しか持っていない価値観に従って生きることを決めた瞬間に得る自由がある。

大人の役割は“答え”よりも“問い”を残すこと

「お前は何を感じるんだ」「お前はどう考えるんだ」「お前は何が好きなんだ」「お前は……」。「自由」とは人生のあらゆることについて毎秒ごとに決断を迫られる状態。つまり「自由」とは「無限の問いの集合体」。「問いを問いとして抱え続ける強さ」がなければ、「自由」には耐えられない。問いを問いとして抱え続けるためには、簡単に答えを出さない強さと、自分の弱さに寄り添う強さが必要だ。

『麻布という不治の病 めんどくさい超進学校』(小学館新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

正解のない世の中で、問いと向き合い続けることに耐えられないと人間は、システムに頼って自ら思考停止に陥る。それが宮台さんのいう「ヘタレ」である。

麻布では一般的に世の学校が教えている以上のことはとくに何も教えていないと私は思うのだが、そうそうたる卒業生へのインタビューを終えて、もしあえて麻布について特筆すべきことを挙げるとすればそれは、言葉ではなくて強烈な実体験としてそれぞれの生徒の人生に痛いほどの問いを刻み込む、その刃の鋭さだということができる。刻み込まれた問いがまるで入れ墨のように消えない。

人はつい“答え”を求める。でも“答え”がもたらす安心や幸せは一瞬だ。一方“問い”は生きる原動力になる。だとすれば、これからの正解のない世の中で学校や大人が果たすべき役割は、子どもの人生に一生消えない“問い”を残すことではないだろうか。それなのにいま、学校も大人も、“答え”ばかりを教えようとしていないか。

おおたとしまさ 教育ジャーナリスト

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Toshimasa Ota

「子どもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。今、子どもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。育児・教育をテーマに執筆・講演活動を行う。著書は『名門校とは何か?』『ルポ 塾歴社会』など80冊以上。著書一覧はこちら

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