「個タクじゃないのに年収1000万」荒技師の流儀 流転タクシー第7回、稼ぐ法人ドライバーの半生

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だが、福岡にこのままとどまる安定した人生に疑問を感じるようになった。1年ともたずに大学を中退し、仕事のアテもない状態で単身上京した。

あこがれた東京では仕事も選び放題だったという。21歳のときに、大阪に本社を置く業界最大手の清掃業務全般の販売などを行う企業へと就職している。歩合制の営業職として採用され、4カ月後には月収50万円を達成。1年が経つころには営業所内で成績トップへと登りつめたという。

「新規で契約を取ってくるという点に関しては、能力があったんでしょうね。理由はシンプルで、ガツガツいけるし、断られても何の苦にもならない性格だったので。ほかの営業が10社回るところを、その倍は回っていました。20歳を超えた程度の若造がそれだけ契約も取れて、金もある。誘惑が多い東京で、絵に描いたように見事に調子にノッちゃったんです」

もともと、東京でひと山当てたいという思いで上京したこともあり、中山さんが本業以外のサイドビジネスに手を出すのも早かった。オフィスコーヒーのFC販売にも絡み、下北沢の居抜き物件で飲食店を開業。そして、青山で弁当配達のデリバリーも開業したのが22歳のときだ。

だが、いずれもうまくいかず、借金を抱えた。ストレスから、私生活でも渋谷の裏カジノにハマり、毎週末10万円以上を散財した。3年が経つころには、借金の額は600万円に膨れ上がっていた。

実は、この時期に結婚も果たしている。現在は3人の子どもの父でもあるが、中山さんには当時から今に至るまで家庭サービスをしたという記憶がない。

起業で内部留保が3億円を超えたが…

4年務めた清掃会社では、つねに成績はトップだったという。だがビジネスで失敗し、顧客を回せなくなってきたという負い目から、退社を決意した。

「優に800万円はもらっていましたから、もし辞めなければ今ごろどうなってるのかな、とは時々思います。でも当時はプライドもあったので、哀れな目を向けられながら仕事を続けるという選択肢を持てなかったんです」

退職後は出張マッサージ師、携帯販売の営業、カレー屋を開業するなど、さまざまな職業を転々とした。興味深いのは、いずれの業態でもトップセールスとして1000万円近い年収を稼いでいることだ。そして、いずれも数年で成績は下降し、別の道へ舵を切っている。

30歳でNTTの代理店業務を請け負うようになり、軌道に乗ったことで起業した。3年後には売り上げが1億円を超え、内部留保金も3億4000万円を超えるほどになった。

しかし、好調のときこそ必ず落とし穴にはまってきたのも、中山さんの人生でもある。

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