大改装で変わる「渋谷地下街」の知られざる歴史 スクランブル交差点下「しぶちか」で生きる人々

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その好況は1977の新玉川線(現半蔵門線)開業でしぶちかが駅と直結した後も続くが、バブル崩壊以降、陰りが見え始める。2014年に行われた最後の商業統計調査と、2019年の同調査で1㎡当たりの年間物品販売額を比べると304万円から248万円と減少。しぶちかの濤川由雄理事長はここ2~3年は高齢化、消費税増税そしてコロナと打撃が大きいと見る。

その理由として濤川氏が最初に挙げたのが店舗の狭さだ。闇市の露店は1店舗あたり2坪ほど。それを地下にそのまま持って行くという発想だったため、現在もしぶちかの店舗は2.2坪が最も多く、隣接する区画を借り増しするなどしている店舗でも4~7坪弱にとどまる。 

絶好の立地なのに商売が厳しい理由

そもそも最初になぜ150坪(現在は143坪)を要すると考えたかと言えば、1949年に出資金を払って組合に参加した人が75人おり、各人が2坪ずつ使うと考えたからだ。売り切れごめんの時代のやり方のままで、バックヤードを取る余裕もないのである。そのため、前述の1㎡当たりの年間販売額は世の中一般の商店街と比べて決して劣る額ではないものの、店舗売り上げで見ると、先行きが明るいと言い難くなってしまうのである。

しぶちか副理事長の永井良明氏も極小規模の個人店中心のしぶちかが資金力のある大手、チェーン店と伍していくのは難しいという。

「閉めてある店を見て借りたいという人は多数来ます。渋谷のスクランブル交差点の下に店があると言えば宣伝効果はある。でも、宣伝としてではなく、商売するつもりで借りようとする人は、10坪以上は欲しいという。今の広さでの継続にはメリットはありません」

加えて今は卸から仕入れた、どこにでもある品だけではやっていけない。専門店はどんどん潰れており、かつてのように簡単に商売替えできる時代でもない。また、店主の高齢化が進み、後継者がいない店もあって改装を廃業の好機と考えた人も少なくないという。

渋谷の再開発の話自体は20~30年前からあり、それが具体化してきたのはここ数年。濤川氏が1軒ずつを回り、営業継続の意思を確認し始めたのは2年ほど前からだ。その後も消費税増税時、コロナ発生時と繰り返し聞いて回っており、その度に継続希望者は減り、現時点では7人に。もともとは63区画でスタートしているため、64年目に店を継続するのは10分の1ほどという計算になる。さらに組合を脱退する人も出てきている。

しぶちかは組合結成時から営業の権利は組合員だけに付与されることになっており、権利の賃借、売買は管理会社に委託する以外は組合員間でしかできない仕組み。そのため、しぶちか内では祖父、父、息子などと代々引き継がれている店が多く、店舗同士の仲が良いのが特徴である。だが、その伝統も徐々に消えていくことになる。

ただ、改装で家賃が上がるから廃業というわけではない。露店救済という地下街建設のもともとの趣旨からして当初から家賃などは抑えられており、それは今後も引き継がれる。当初から組合に参加している人であれば、新しく生まれ変わる空間にこれまで通りの費用負担で店を出し続けられるのである。

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