孤独死を弔い続ける神主が危ぶむ「強烈な孤立」 事故物件の「お祓い」に映る無縁社会の哀傷

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金子は孤独死現場でお祓いが終わると、真っ先にスーパー銭湯に寄って帰る。腐臭の漂う孤独死現場にいると、最初は喉の奥から吐き気が襲ってくる。しかし、すぐに鼻は慣れてバカになってしまい、何も感じなくなる。だから、いち早く体についた死臭を落とさなければならない。

金子は、ここ30年ほどで日本が大きく変わってしまったことを実感している。

「こういう現場に長く携わってると、無縁社会の到来を肌身で感じる。これだけ孤独死が増えてるってことは、日本の崩壊の予兆ということじゃないか。だって人が死んでて、腐っててもわからないんだから。これだけ人口が集中している都市で、50センチ先にも通勤のサラリーマンが歩いている。それで知られないということはもう孤立社会で、崩壊に向かっている兆しですよね」

宗教者に対する偏見のまなざしも

無縁社会を実感するのは、親族が現れないときだけではない。その宗教観の変化も、無縁社会を加速する引き金になっていると金子は感じている。オウム事件以降、宗教者に対する社会の見方が180度変わった。金子が現場に現れると、依頼をしたにもかかわらず大家や近隣住民などに嫌悪感を示されることが増えてきたからだ。

大家は「あんたみたいな格好した人がウロウロすると、迷惑なんだよ」と睨みを利かせて、仁王立ちになるし、その格好が気持ち悪いと言われることも多くなった。隣人などが警察に通報して、警察がやってくることも日常茶飯事だ。しかし、そんな社会も一概に責めることはできないと金子は言う。

「今は血縁集団の儀式がないから、俺たちの仕事は嫌われているのも当たり前。オウム以降、宗教は特定思想集団として一般市民に忌み嫌われるようになっちゃった。それは神主でも一緒なの。宗教は、私たちの日常生活から完全に離れている。

でも人の道徳観って何かと問われると、ほとんどの国は宗教。それが今は取り払われた。今の家には仏壇も神棚もあまりない。死者を弔うとか供養するという気持ちがない」

金子が幼い頃の町の原風景は違った。神社のお祭りが盛んで、そこには、つながりや心の交流があった。現在の人々は、神社の氏子やお寺の檀家から外れて、個になってしまった。だから、孤独死が増える。金子は私にそう言うと、その穏やかな視線を斜め下に落とした。数々の事故物件に向き合ってきた男が見せた憂いの視線──。

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