アメリカにおけるインターネット選挙運動の歴史--解禁へ向け動き出したインターネット選挙運動[3]
1月19日、米国マサチューセッツ州で連邦上院議員の補欠選挙が行われ、共和党のスコット・ブラウン同州議会上院議員が、民主党のマーサ・コークリー同州司法長官を破り勝利した。Wall Street Journalは、その勝因の一つとしてGoogleを挙げている(→こちら)。
Adwards、YouTubeをはじめとするGoogle社のツールは広く行き渡っているが、その使用法を先鋭化させることによって勝利につなげた、という分析だ。
こうした最新の状況を理解するには、歴史を復習することも必要である。米国の大統領選挙における戦術を見ていくと、インターネット選挙運動の歴史もわかりやすい。今回は、本場アメリカにおけるインターネット選挙の勃興と発展について振り返ってみる。
黎明期
1992年、民主党大統領候補予備選挙にてブラウン候補が、初めて電子メールによる選挙運動を行った。インターネットを選挙に用いる候補者は1996年の大統領選挙で急激に増え、主要候補は皆ホームページを開設した。
この時点でのホームページ内容は政策や経歴の記載が中心であり、能動的活動としてはボランティアの募集くらいのもので、紙媒体を単に電子データに置き換えただけといってよいものであった。
2000年、ブラッドリー候補やマケイン候補も初歩的なインターネット活動にとどまっていたが、電子メール・広告宣伝におけるインターネットをより重視し始めた時期であった。
■マケイン氏の2000年選挙時のウェブサイト
出所:www.4president.us/
マケインは、インターネットをテレビで宣伝して、そこからネット献金として640万ドルを集めたという。手段として既存メディアであるテレビを挟むところに限界はあるものの、ひとつの大きな進歩といえるだろう。
ディーンのもたらした革命
インターネット選挙戦術に大躍進をもたらしたのは、2004年の民主党予備選のディーン候補である。バーモント州知事だった同氏は全国的知名度がなく資金力も乏しかった。さらに、党内でも反主流派だったため、インターネット選挙戦術に活路を見出したのである。まさに、必要は発明の母である。