違いもある。NA型は当時の最先端技術を取り入れた設計手法によって高い運動性能を手にしているが、操作フィールや運転操作には曖昧(ファジー)な部分が残る。
ただしそれは、クルマのデキがあまいとか、精度が出ていないということではなくて、曖昧な部分は人がそれを補う余白として意図的に残されたもの……、と改めて痛感。その昔、マツダの技術者から伺った、「他社の他車は圧倒するハイパワーや反応の鋭さをウリにしていますが、われわれは人がしっかり操作して、それを満足感として認識いただけるような作り込みを大切にしています」という言葉を思い出した。
人を大切にする点はND型も同じ。ドライバーの運転操作を大切に受け止めて、つぶさに車体への反応に活かすプロセスが成り立っている。
しかしND型のそれは、とても鋭く敏感で、狂いもほとんどないように思える。現代の解析技術をもってして人間工学を研究し尽くした結果、ND型はたとえばペダル操作を行う微細な両足の筋力変化にも反応できるまでになったのだ。
これは素直にすごいことだ。でも筆者は、時に正しい運転操作を示唆(矯正)されているような複雑な気持ちを抱くことがある。正直いって5年間オーナーとして付き合いながらいまだに戸惑う部分だが、一方で日常のありふれた運転シーンからでも適度な緊張感と満足感が得られ、漫然とした運転操作を正確に矯正されるというありがたい一面もある。
「協調型」と「羅針盤型」
1972年生まれの筆者が、1989年と2015年に生まれた2台のロードスターを2020年に乗り感じた結論は以下の通り。
曖昧さを残したNA型は、人(ドライバー)の運転操作で穴埋めすることによって、正しい方向を一緒に見出していく「協調型の運転スタイル」。鋭く敏感なND型は、針の穴に糸を通すようなドライビングポジションしかり、「これが私(ND型)の正解です」と諸々をロードスターに示される「羅針盤型の運転スタイル」。
言い換えれば、足りない部分を人が運転操作で補うNA型に対し、枠組みに沿うような運転操作を人に求めるのがND型と、同じロードスターでありながら、その根底は見事に分かれる。
今回は非常に有意義な試乗だった。筆者はこの先、愛車であるND型に最大限の愛情を注ぎながら、「1/fゆらぎ」のような曖昧さを醸し出すNA型の存在を生涯忘れることはないだろう。
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