本当に強い雑草は「立ち上がらない」という真実 やみくもな根性論を押し付けてはいけない
「変化」に対する2つの対応
「変化」に対して私たちは、どのように対応すればいいのだろうか。変化への対応の仕方として、相反する2つの考えがある。
1つは「変化に惑わされず、1つのことに専念して継続することが大事だ」という考え方である。一方、「同じことを続けていてはいけない」という考え方もある。雑草はこのどちらを選択しているのだろうか。
植物は動くことができない。動物は動くことができる。そのため、エサや居心地の良い場所を求めて、移動することができる。ところが、植物は動くことができないから、そこに種子が落ちたとすれば、そこがどんな場所であろうと、そこに生えて、そこで一生を終えるより他にないのだ。
「変えられないものは受け入れる」
それが植物の、基本的な生き方である。
変えられないものとは、何か。それは自らが生える環境である。そこの環境条件は、植物自身は変える力を持たない。あるいは、まわりに生えている植物も変えられない。
変えられないものは、受け入れるしかないのだ。
それでは、植物にできることはないのだろうか。もちろん、ある。
「変えられるものを変える」
それも植物の、基本的な生き方である。
変えられるものとは、何か。それは植物自身である。自分の体や成長の仕方はいかようにも変えることができる。そのため、植物は自分自身を変化させるのだ。
生物の変化できる能力を「可塑性(かそせい)」という。動くことのできない植物は、動物に比べて可塑性が大きい。たとえば、体のサイズを考えてみても、人間の大人であれば、大きい人と小さい人とで倍も身長が違うということはない。しかし、植物では同じ種類であっても、倍くらい高さが違うということは当たり前に起こる。
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