名門3ホテルの歴史に学ぶ「危機」の乗り越え方 コロナと同じく震災・終戦の苦労も大きかった

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1923年に本館を建て替えた際には(現在の本館の1代前のライト館)、開業披露の祝宴当日に関東大震災が発生。倒壊を免れたため、設計者のフランク・ロイド・ライトともども世界的な認知度を高めたが、周囲はがれきの山。そこで罹災会社の事務所、避難した市民の無料宿泊所として開放。一時はアメリカ大使館も居を置き、新聞社・通信社の仮事務所にもなった。

開業当時のインペリアルバイキング(写真:帝国ホテル)

第2次世界大戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に接収されてしまったが、逆にこれをチャンスととらえ外国人客の思考を把握することに努めた。料理場の衛生基準や災害予防の知識など、当時先進的だったアメリカから積極的に学んだ。

ホテルのレストランで定番のブッフェ(バイキング料理)を始めたのも帝国ホテルである。北欧の伝統料理「スモーガスボード」を参考に、1958年から「インペリアルバイキング」として提供を始め、現在に受け継がれている(現在、朝食は休止中)。

ホテルオークラ:保存運動まで起きたロビーの再生

帝国ホテルの発起人の1人であり、同社会長も務めた大倉喜八郎の嫡子、大倉喜七郎(自身も帝国ホテル元会長)が初代会長に就任したのがホテルオークラ(東京・虎ノ門のホテルオークラ東京)で、1962年に開業している。欧米の模倣でなく、世界に通用する本物の、日本の特色を出したホテルとしてデザインされた。

「ロビーは静かにくつろげる場所」であることを最重要視し、広大な空間を無料のラウンジとして開放している。梅の花に見立てた5脚の椅子と漆の丸テーブル、天井から下がるランターン(照明)など、日本の風土や伝統、文化を醸すように配置されている。

再現されたメインロビー(写真:The Okura Tokyo)

その本館は建て替えられ、昨年The Okura Tokyo(ジ・オークラ・トーキョー)として開業しているが、高層ビルとなってもロビーの様子は以前と寸分違わないほど同じで、旧本館に迷い込んだと錯覚するほど。

オークラの精神そのものといえるロビーの意匠は、建て替えが発表されると、国内外のオークラファンからたちまち反対の声が上がり、SNSでの拡散でネット上でも保存運動が盛り上がった。

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