「生産性という呪い」から逃れて生き延びる方法 感性が劣化した「ネオリベ人間」から脱却する

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マルクスによる資本主義社会の定義はもとより、「余剰価値」「本源的蓄積」「包摂」「階級闘争」など、『資本論』における重要な概念についての解説がなされていくのだが、それらは2020年を生きる現代の私たちを取り巻く社会現象になぞらえられて具体的にイメージできるよう描かれており、「つまり、いまで言う、こういうことだな」と腑に落ちる構成になっている。

読み進めていくと「この問題もすでに200年前のマルクスが指摘していたのか!」という驚きが次々と飛び出した。『資本論』が現代社会の病巣をえぐるものであることがうかがわれ、知的好奇心がそそられて、単に「天才の思考を読み解くため」の読書ではなく、「自分で自分をとりまく世界について思考するため」の読書へと誘導されていくのだ。

資本主義の「宿命」

資本主義社会というものは、生物の生命維持のための代謝のように、さまざまなものを生産し、流通し、消費しつづけている。スマホやパソコン、衣類、食品、書籍などの商品も、その原料や製造設備などはことごとく商品化されており、「商品による商品の生産」がくり返されている。

このような社会で人々が生きていくには、商品を生産するために働き、それによって得た賃金で、自分の生活のために必要な商品を買って消費することになる。つまり人々は、「労働者」でありながら「消費者」でもあるわけだ。そして資本家は、そのような労働者の労働力を「商品」として買って、何らかの商品を生産し、売っている──これが『資本論』の基本の「キ」だ。

この過程において、世の中の大半のものが商品化されていく。自分で生産して自分で消費する自給自足の割合は減ってゆき、食料から水、遺伝子にいたるまで、「それをお金で買いますか」という問いかけが生まれるほど、あらゆるものが商品となるのだ。

昭和52(1977)生まれの私は、子どもの頃、自動販売機にペットボトル入りのミネラルウォーターが並びはじめたのを見て、「水なんて家から水筒で持ってくればいいのに、誰が買うんだろう」と異様に思った記憶がある。だが、それも今では見慣れた光景だし、災害用にミネラルウォーターの買い置きをしておくのも当たり前のことになっている。

最初は異様に感じても、いつの間にか慣れてしまう、いや慣らされてしまうものでもあるのだ。かろうじて倫理的にストップのかかる分野はあっても、次々と新たな商品が飛び出す。最近では「友人レンタル」や「退職代行」などの登場に度肝を抜かれたが、人間関係や、面倒な摩擦から逃避したい願望も商品化される、それが資本主義社会なのだ。

このような際限のない商品化は、ひたすら資本を増殖させることを目的とする資本主義社会の「宿命」でもあると白井氏は述べている。

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