歴史が苦手な人は学ぶ面白さの本質を知らない 時間軸とエビデンスで考えられるようになる
出口:そのとおりです。排仏派の物部氏についても、仕事は来ません。普通の人がどちらにつくかといえば、仏教のことはよくわからないけれど、仕事があるほうがいいというに決まっているわけです。仏教伝来もこのように教えれば、よくわかるのに、「ほっとけごみやさん(538年、仏教伝来)」という意味不明な年代だけを覚えさせようとするから、おもしろくなくなるのです。なんでそんなことが起こったのか、いろんな状況証拠をベースに考えていくから、歴史はおもしろいのです。
もう1つつけ加えれば、仏教は朝鮮半島の百済(くだら)から入ってきたわけですが、百済はなんで最新の技術体系を教えてくれたのか。普通は、そんなに簡単に教えてくれません。今でもアメリカは、日米安保条約を結んでいても、戦闘機の心臓部分は全部ブラックボックスにして教えてくれません。
尾原:絶対に見せてくれません。秘伝のタレですから。
百済が最新の技術体系を教えてくれた理由
出口:では、百済はなんで教えてくれたのかということを、考えなければいけない。仮に538年という年代が正しければ、この年は、百済はお隣の新羅(しらぎ)に攻められ、都を落とされて、南遷している年なんです。
つまり、国が滅ぶかどうかの瀬戸際で、助っ人をよこしてくれ、その代わりに最新のテクノロジーを教えるから、ということだったのではないかと。仏教伝来というのはおそらく、シェイクスピアの「リチャード3世」が戦場で追い詰められて叫んだ有名なセリフ「馬をくれ! 代わりに王国をくれてやる!」に似た状況だと考えれば、すごく腹落ちするのです。
尾原:国がなくなってしまったら、虎の子の技術を隠しておいてもしょうがないから、それをくれてやってでも、仲間を集めて兵隊を増やすというのは、すごくシンプルな構造ですね。
もっと大事なことは、人間の脳ミソが1万年変わっていないとすると、人間がどんな欲望を持ち、何を怖がって、どういうときに何をしたがる生き物なのかというベースは、昔も今もそれほど変わらないことになる。すると、何かが起こったときはこうなる、という前提条件とリアクションの組み合わせがわかっていれば、自分の身にその「何か」が起こったときにも、どんなふうに行動したらいいか、知識として蓄積できることになります。
出口:時々歴史は文科系の学問だから、民族の数だけ解釈があるなどという人がいるのですが、僕が知る限りは、グローバルに見たらそういう意見はほとんどなくて、歴史はやっぱり科学なんです。
文献だけではわからないことは、考古学の力を借りたり、放射性同位元素で年代を測定したり、花粉分析で気温を再現したりして、初めてよくわかる総合科学です。過去の出来事を再現するのは無理にしても、そこに近づいていこうとする学問が歴史ですよね。流行作家が勝手に解釈して物語をつくるのは自由ですが、解釈次第で歴史は変わるというのはまったく違う。それは学問ではないのです。