歴史が苦手な人は学ぶ面白さの本質を知らない 時間軸とエビデンスで考えられるようになる
出口:「慌ててやらなくてもいい」と言えば、反対論は起こりません。僕はもともと春入学はとんでもない制度だと思っていて、なぜかというと、いちばん大変な入学試験を厳寒期にやらせるのは、制度的な拷問ではないかと思っているのです。
尾原:オリンピックを酷暑の夏にやるのと同じですね(笑)。
出口:一生がかかっているかもしれない大事な試験の日に、風邪をひいたり、大雪で試験場に行けなかったりする人がいることを考えれば、グローバル基準の秋入学のほうがはるかに優れているわけです。このように、時間軸で考えるという気づきを得られることが、歴史を学ぶ1つのメリットです。
もう1つは、歴史を学ぶと、エビデンスベースで考えられるようになる。近代知的社会の基盤は、すべてエビデンスベースで物事を考えることだと思うのですが、エビデンスをクリアにして、ロジックを積み上げていく。未来を予見するために役に立つかどうかはわからないけれど、時間軸で考えるクセがつき、エビデンスベースで考えるクセがつくだけでも、歴史は役に立つし、おもしろいなと個人的に思います。
尾原:歴史を学ぶことのメリットの2つ目を、エビデンスベースが身につくこととさらっと言えるのって、すごくいいですね。日本だと、歴史というとどうしても記憶することだと思われがちですけど、1つひとつの出来事をとっても、なぜそれがそのとき起こりえたのか、エビデンスをもとにロジックを積み上げて考える。そういう訓練を積んでおけば、偶然の中にも必然を見つけることができるかもしれない。歴史を学ぶのは、次に自分たちはどうすべきかを考えるためでもあるわけです。
日本が仏教を受け入れた理由
出口:学ぶべき歴史が、陰謀論のようなエビデンスに基づかないものであってはまったく役に立たないですよね。この前に受けた取材で、たまたま仏教の話をしていたのですが、仏教が伝来したときに、どこの国でも、仏教を入れようという崇仏派と、そんなのはいらないという排仏派が対立するのですが、ことごとく崇仏派が圧勝しているのです。その理由は簡単で、仏教というのは、当時の最先端の技術体系だからです。
尾原:なるほど。
出口:だって、仏教を広めるためにはお寺を造り、お坊さんは立派な着物を着て、ありがたいお経を読むわけですから、仏教は単なる教えじゃないんです。現代のわれわれでも「仏教の教えの本質は何か」と聞かれると、むずかしくて答えられない。ましてや当時の人々に、仏教のありがたい教えがわかったとはとても思えない。ではなんで仏教を受け入れたのかというと、崇仏派の蘇我氏につけば公共事業が山ほど発注されるからです。
尾原:お寺を建立するゼネコンみたいなものですね。