​コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由 独自の成長理論を生んだ希代のエコノミスト

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1960年代の高度成長を的確に予言した下村治氏の「下村理論」は、現代貨幣理論(MMT)にも通じているという(写真:時事)  
戦後日本の高度成長に寄与した池田勇人首相側近であり、不世出のエコノミスト、下村治氏。彼は当時どのような理論を提唱し実現していったのか。
このたび『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、戦後最悪ともいわれるコロナ危機における「下村理論」の有効性を解き明かす。

独自の成長理論を編み出す

前回で述べたとおり、下村治は大蔵官僚として、終戦直後のインフレ処理に従事したが、このときの激務がたたって体調を崩し、1948年から1年間、病床に伏せることとなった。

その病床の中で下村は、ジョン・M・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を読みふけっていた。そして、ケインズの理論は需要面に焦点を当てており、供給面の分析が不足していることに気づいた。

そこで、下村は、ケインズの理論に生産力の理論を加味し、独自の成長理論を編み出したのである。世に名高い「下村理論」である。それは、ハロッドやドーマーが成長理論を確立したのとほぼ同時期であった。

昭和30年代、下村は、日本経済は年率10%以上の成長率が可能であると主張し、大来佐武郎や都留重人といった経済学者たちと大論争を繰り広げた。大来や都留は、そんな高い成長率はありえないと批判したのである。しかし、周知のとおり、日本経済が実際に高度成長を成し遂げたことで、この論争は下村に軍配が上がった。

当時、下村に対しては、「高度成長はインフレを招く」という批判もあった。これに対して下村は、生産能力が十分にあるのでインフレにはならないと反論した。

「インフレになるかならないかということを決定するものは、基本的には生産能力と需要との相互関係である。これだけの条件ははっきりしておく必要があるということであります」

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