最高裁が「間違っていることを適法と認めた」、というのはどうかしているが、経済学では1990年代半ばに、この考えは間違っていることが広くコンセンサスとなっていた。
「多数派が少数派の利益を損なってはならない」のが本質
なぜならば、株主総会に反対した3分の1未満の株主の利益を大きく損なっているからである。それはこのファンドやその同調者だけではない。このファンドが企業価値を損なうとして買収に反対していても、このポイズンピルという手段に反対していた株主の利益を致命的に損なうからである。
こう書くと、ピンと来ないかもしれない。だが、別の例を考えればすぐわかる。たとえば、上場企業Xがあって、創業者の息子ほか一族が株式の3分の2を保有しているとする。上場しているから、仮に残りは個人株主としよう。息子がひそかに愛人を作り、一般には愛人と知られていないこの人物が所有、経営する会社Yを買収することを決定した。企業Yは創業以来ずっと赤字であり、昨年も今年も売り上げは2億円で伸びていない。しかし、買収価格は100億円、しかも現金払いと決定した。
これに対し、個人株主が差し止め訴訟を起こした。だが、企業Xの経営陣は、あるコンサルティング会社に企業価値の算定を委託。このコンサル会社は、コロナ後の世界では、企業Yの製品は急激な需要増加が期待されるため、100億円の価格は妥当であるとした。そして、臨時株主総会を開き、3分の2の賛成を得て、特別決議を行い、買収は実現した。
これは明らかに、この企業Xを支配している大株主による、外部の少数株主の利益の収奪である。しかし、株主総会が絶対であれば、これは誰も止められないことになる。
この仮想事例で明らかなように、世間ではもうひとつの大きな誤解がある。それは、「コーポレートガバナンスとは、株主のために、経営者の暴走を防止することだ」と。
違う。それはなぜか。
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