また、感染者のいる部屋を仮に「不潔区域」とするならば、廊下は「清潔区域」になるため、その間に「準不潔区域」という部屋を作り、汚染したものがそのまま清潔区域にいかないように分ける。
しかし、大学病院や重篤な感染症患者を受け入れている所でない限り、そんな設備をもっている病院はほとんどない。とくに、昔ながらの中小規模の病院では、下手したら部屋にドアがなかったり、1つの病室にぎゅうぎゅうにベッドが並べられていたり。だから、もし感染者が出た場合、逆に蔓延してしまうリスクが高い。
水木さんは濃厚接触者には該当しなかったが、コホート(感染反応がないかを重点的に観察する部屋。感染の可能性が高い患者を他患者と接触させないように準隔離病室的なもの)の対応を担当。つねに感染のリスクと隣り合わせだった。
つらかったのは、大切な人からの些細な拒絶
水木さんのメンタルに一番ダメージを与えたのは、何よりも身近な人からの言葉だった。
普段から「もし私が感染していたら……」と考えていたので、できるだけ人とは会わないようにしていた。ただ、どうしても顔を出さなければならない状況で実家に行く機会があった。水木さんの顔を見た、父の第一声が「コロナを持ってくるなよ」。水木さんはショックを受けた。
ほかにも、夜勤後にタクシーに乗ろうとしたら乗車拒否をされたり、病院から出てくる水木さんを見た見知らぬ人が、すごく嫌な顔で「ここ、クラスターが発生しているんでしょ、あなたは大丈夫なの?」と言ってきたり。
水木さんは、知人の経営する訪問マッサージの手伝いをしていたが、ある日、担当していた常連の家族から「水木さんは看護師なんですよね。悪いけど、もううちには来なくていいですよ」と連絡が入る。水木さんはこれには涙ぐんでしまった。
人が好きで看護師を志した。「自分のアイデンティティ」として誇らしかったのに、コロナ禍のなかで仕事を聞かれたとき「看護師」という職名を隠すこともあった。
他人から汚いものを見るような目で見られたり、心ない言葉をかけられたり。「クラスターが発生した病院」ということで批判も多く受けた。堂々と「看護師です」と言えなくなる自分が悲しく、とてもつらい気持ちになった。
ただ、「看護師をやめたい、逃げたい、と思ったことはない」。仕事があったから精神を保てたし、自分を保っていられた。家ですごく落ち込んでいたときも、職場に行けばそこに患者さんがいて、気づけば「楽しんで仕事をしている自分」がいた。「いつも悪いわね」「ありがとうね」と言われることが本当にうれしく、自身の生きる励みにもなっていた。
結果、「私は(今回のような)どんな状況でも、患者さんから元気をもらっているんだ」とハッとした。
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