狂ってしまう人と踏みとどまる人の決定的な差 批判はいいが強制的に受け入れさせるのは危険

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私が誰かを批判して、相手がそれを受け入れて直してくれた場合、「この人は批判を受け入れて直してくれる人なんだ」と、相手に対して肯定的な評価をしますよね。でもそれはあくまで私の問題であって、相手の問題ではありません。それは「魂」とか、日本的に言うと「お天道様は見ている」という言葉がありますけど、最終的にはそういった目に見えないものが判断をすると心にとどめておくことが大切です。

イスラム法学者の中田考さんと中核派(警察からは「極左暴力団」、マスコミからは「過激派」と呼ばれる新左翼の2大党派の1つ)のある人物がすごく興味深い話をしていました。

中核派の人間は、労働した人間が中心になる世の中こそ正しいという思想を持っています。「労働者が権力を持たなければいけない」という彼らの主張に対して、中田先生が「それでは、労働しない人間はどうなるんですか?」と聞くと、彼らは「それは、みんなが労働するようになるんだ」と言うんですね。その考えでいくと、「それはすなわち労働しない人間は消すっていうことですよね」という結論に行き着きます。それは歴史的にもそうだったのです。

規範に反する人間は、いつの時代どの社会にも存在します。規範に反する人間はたくさんいて、イスラム社会でもお酒を飲むムスリムもいれば、豚肉を食べるムスリムもいますし、礼拝しないムスリムもたくさんいる。

ただ、それはダメなムスリムとして認知されるのであって、それ以上でも以下でもありません。規範に反したからといって、直接的に刑罰を受けることもなければ、ムスリムとして存在することを認めないというのでもなく、「あいつはダメなヤツだなぁ」と言って終われるのが適切な共同体です。

強制して批判を受け入れさせるのが“カルト”

「ダメな人間をダメじゃないようにしよう、お前、目を覚ませ!」と強制して批判を受け入れさせるというのは絶対にやってはいけません。それを強制するのがいわゆる”カルト”です。

では、危険な思想を増幅させてしまった人に対して、どのように批判すればよいのかはまた難しい問題です。

相模原の障害者施設で起きた19人殺害事件の犯人・植松聖被告も、個人の間違った熱狂に狂った1人だと言えます。作家の雨宮処凛さんが植松被告と面会したときの様子を書いた記事(『「雨宮さんに聞きたいんですけど、処女じゃないですよね?」植松被告は面会室で唐突に言った』2020年1月31日配信、BuzzFeed Japan)にこんなことが書いてありました。

「あなたは間違っている」などと言われると、植松被告がスッと感情にふたをするのがわかった。先回りして、批判されそうな発言をする際に前もってやっているとわかるときもあった。
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