環境のせいにする人は自分が見えていない 楠木建×高森勇旗「不運と不才の受け止め方」
楠木:「環境が悪い」と言っている人の共通点は、どこかに「いい環境」があるはずだという前提に立っている。それに比べて今の自分の環境が悪い、環境に恵まれないと思っているフシがありますよね。
ところが、環境の客観的な比較は論理的に言って不可能だと思います。なぜなら、人間は同時に2つの環境を体験することができないから。
分身の術を使って、一方はジャイアンツに行って、一方はベイスターズに残る。夜に両者が集まって、どっちの環境がよかったか?なんていうことができれば別ですが、つねに今の自分の1つの環境しか体験できない。
だから、よそにもっといい環境があるんじゃないか、という思考様式には、そもそも意味がない、というのが僕の年来の考えですね。
高森:それは、僕が尊敬する田代富雄監督(当時)からも教わりました。他球団に行ったらチャンスがもらえて、そこなら活躍できるなんていうのは、ありえない。1軍でバリバリ活躍している選手が移籍するのは別だが、2軍の選手が他球団の2軍に移ったこところで、結局は2軍選手だ、と。本当にそのとおりだと思います。
結局は、自分の成績が悪いっていうことを認められないので、環境のせいにするのが手っ取り早いだけなんです。それに、4年目に挫折したという体験も、今思うと気のせいだったんじゃないかなって思います(笑)。
たった2カ月我慢できなかった
楠木:「気のせい」。いい言葉ですね(笑)。
高森:いや、たぶん2カ月間黙ってちゃんと練習してたら、チャンスももらえて結果も出て、1軍に上がっていたと思います。たった2カ月、試合にちょっと使ってもらえないというだけで、文句や不平不満を言いまくったせいで、本格的にチャンスがなくなった。
あのたった2カ月我慢できなかったせいで、プロ野球人生全体を棒に振った感じです。
楠木:そういうことは往々にしてありますね。もしかしたら、このコロナ騒動もそうかもしれません。気のせいというと言いすぎですが、一通り騒動が終わったときには、ほとんどのことを忘れてしまって、「あれ、何だったのかな?」と思うことがあるかもしれません。
高森:環境のせいにしてしまいたくなる気持ちも十分にわかりますが、大切なことは、それによって気持ちや情熱を失うのが環境のせいではないということです。それは、自分の責任です。気持ちは切れかけてもよいのですが、切ってはダメです。環境によって、自分の人格まで変えてはダメだということです。
楠木:過去や未来、ほかの場所といった別の何かに期待することなく、今この環境でコントロールできることに目を向けてやる。後のことは、今は不遇に見えても、のちになって考えるとそれほど大きなことじゃない。だから、そこに左右されないということが大事ですね。
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