当り前だが、人々は「忘れないこと」と「忘れること」がある。コロナの恐怖は「目に見えない不便な恐怖」であり、未知と誤解と世間の雰囲気に大きく影響されているから、大きく振れるものとなる。人々は多くの部分において忘れてしまい、「不便であるからもうコロナは終わったことにしてしまおう」と思いたがる。実際そう思って行動することになるだろう。したがって、買い物、飲食、娯楽は概ね戻る。不便には耐えられないのである。
何が「正しい経済対策」として必要なのか?
一方、不要不急のものを自粛していたわけだが、不急と思っていたが、実は不要であることに気づいたことも数多くある。例えば海外旅行は一部の人を除いてはあえて行くこともないし、しばらくは近場の観光が中心となるだろう。そもそも大規模な観光というものは不要と思われ、体験、遊びで十分となる可能性がある。
テーマパークには人が殺到するし、しばらくたてば温泉も人は戻るだろうが、いわゆる観光は激減するだろう。夜の店というのも、パチンコと一緒で、中毒の人々には必需品で、戻り需要が殺到しそうだ。だが、付き合いで行っていたり、なんとなく行っていた人は、行かなくなるだろう。
たとえば、キャバクラであれば、一人で通いつめる需要はなくなりそうもない。すでに東京アラートが出たように、すでに自主的に自粛を解禁、さらに自粛明けで殺到するのかもしれない。一方で、大勢で楽しく飲みに行くという需要は激減し、家飲みやオンライン合コンなどで代替されるだろう。要約すれば、通常に戻るところはとことん通常に戻り、戻らないところは、何をやっても戻らない、という消費スタイルになるだろう。
さて、そうすると経済対策として何が必要か。
まず、休業補償の流れで、売り上げが再開しても激減したままの中小企業への給付金に代表される、さまざまな「売り上げ補填のための現金給付の措置」は必要だろうか。私に言わせれば、これらは不要であり、まったく役に立たないから、全廃するべきである。
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