図は拙著『国家・企業・通貨』(新潮選書、2020年2月)に掲載した世界の主要地域別GDP(国内総生産)の推移だ。これを見れば20世紀というのは欧米圏の経済規模が世界全体の70~80%にも達していた時代であることが分かる。そして、そうした時代だったからこそ、米国や欧州に生じた人々の心の変化は一気に世界を恐慌に陥れたのである。
しかし、21世紀の今は違っている。世界経済におけるアジアのシェアは大きく高まり、あのリーマンショックの2008年ですでに西欧と北米を合わせたそれを凌ぐに至っている。世界恐慌の1930年代と状況は大きく違っているのだ。
今回のコロナショックによる経済活動への打撃は、数字を見るかぎりでは5000名の死者で事態を乗り切った中国に比べ、死者数が10万人を超えた米国や各々3万人前後の死者を出しているイギリスやフランス、スペインそしてイタリアのほうがはるかに大きい。
暴力的とも言える都市封鎖や感染者収容などで感染拡大を抑え込んだ中国のやり方に、筆者は共感を覚えることなどできない。だが、事実を事実として受け入れれば、こと実質経済に関しては、ダメージを相対的に小さく抑え込んでウイルス第一波を乗り切った中国の存在は大きいと認めざるをえない。
日米欧は資本市場のリスク吸収力が大きい
一方、資本市場への打撃という点ではどうか。それについては、このウィルス禍が人々の心の中で自己増殖する恐れではなく、経済活動の外側から生じた脅威であることを再確認すべきだろう。人の心の中で自己増殖する恐れでなければ、資本市場は、生じている禍(わざわい)を長い時間軸で吸収し、現在時点での富の毀損を抑え込む役割を果たせるからだ。
日本や欧米の株式市場あるいは円・ドル・ユーロなどのいわゆる先進国通貨が底堅いのも、これらの国々おける資本市場のリスク吸収能力が損なわれていないことを示している。20世紀の世界恐慌も21世紀のリーマンショックも、それが資本市場のリスク吸収能力を直撃したから世界を震わせるものとなった。今回のウィルス禍はそれらとは質が違うことは認識したほうがよい。コロナだけで恐慌を招き入れるほど、現代の日本を含む欧米型経済体制は脆弱なものではない。
しかし、そのことは、国家の統治機構や企業経営あるいは通貨制度への信認が弱い国には大きなリスクがあることを示唆している。資本市場が現在のような衝撃を吸収する役目すら果たせず、反対に将来に対する不安を現在に持ち込んでしまう可能性すらある。
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