思えば、職場からの物理的隔離に耐えられる人は恵まれた立場にある。筆者のように、パソコンとインターネットぐらいあれば講義もできるし論文も書けるという人間は気楽なものだ。だが、物理的に隔離された日常では仕事ができない人もいる。隔離により職場を離れることが家族の日常の崩壊を意味する人もいるはずだ。活動的で人に接することの多い仕事をしている働き盛りの人や若い人の家庭ほどそうなるはずだ。
そうした人たちにとっては、検査を受けて隔離施設に収容されることの悲惨さのほうが、感染して発症することの苦しみよりも大きいかもしれないのだ。それは、提案者たちが最も隔離したいと考えているはずの感染リスクの高い人たちほど、実は検査を受けたがらないという不都合な図式ができ上がることを意味する。
次の段階では「検査を受けない人を非難し強制する」
そこで何が起こるだろうか。筆者がおそれるのは、「希望者はすぐにPCR検査を」というキャッチフレーズが結果を出せなければ出せないほど、始めてしまったアクションを強化しよう、検査を受け入れない人たちを社会の敵として非難し、無理にでも受検に追い込もうとする動きが生まれることである。
提言の「次なるフェーズの一丁目一番地」といううたい文句にある「次なるフェーズ」は経済のV字回復につながるよりも、国民全員に「検査済み証明書」を携行せよと呼びかける全体主義的な精神運動になりかねないのだ。
今回のウィルス禍をきっかけに、20世紀の初め、具体的には第一次世界大戦中の1918年からから戦後の20年にかけて世界を襲い、大戦での死者1000万をはるかに上回る2500万から3900万ともいわれる死者を出したウイルス感染症、通称「スペイン風邪」を振り返る議論が出てきている。ちなみにスペイン風邪という通称は、大戦における中立国であったスペインからの情報が情報統制を行っていた参戦国よりも圧倒的に多く国際社会に流布したことによるものだが、そのことをここで論じようとは思わない。
この感染症の死亡状況は、実は欧米よりも衛生状態において劣位だったアジアにおいて深刻で、なかでも大英帝国に組み込まれていたインドでは、全世界の死者の約半数に達するほどの死者を出している。これに対し、日本は死亡者数を40万人程度と当時の欧米並みに抑えるという「成功」を収めている。
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