これは、検査の仕方を改善すれば済むだけの問題ではない。このウイルスの潜伏期は10日から2週間にも及ぶと言われている。これに対して、このウイルス感染を検査が検知するのは、早くて発症の1週間前ぐらいからとされているからだ。検査で陰性と出たとしても、検査の数日後には自身が新たな感染源とならないことを保証するものでは「ない」のである。
だから、あなたが家族思いの人なら、あるいは社会の安全を何よりも重要と考える人なら、感染を心配せざるをえない状況であると感じた段階で、検査を求めるより「自主隔離」の道を選ぶのではないだろうか。社会を守るカギになるのは、検査結果により感染者を強制隔離する仕組みではなく、他者を感染させるリスクを最小化するための自律的行動なのである。
3月頃の話だったが、17歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが「ウイルスに感染したみたい、でも自分の国スウェーデンは希望するだけで検査を受けられる仕組みではないので、これから自主隔離に入ります」と書いて、一時、姿を消したことがあった。
筆者は気候変動リスクに関する彼女の主張の多くに強く賛同するものの、主張を表現するときの容赦なさのようなものにはやや引くところがあったが、これを知って気分が変った。この少女は、17歳にして、社会におけるモラルというものを知っているなと感じたからだ。
感染リスクの高い人ほど検査を受けない
検査を隔離と結びつけて運用し結果を出そうと考えるのなら、全国民PCR検査論が提唱するような「1~2週間に1度PCR検査(承認申請中の抗原検査を含む)」程度では、まったく不十分である。検査の直後に感染した人が次回の検査までに感染源となってしまう可能性を排除するためには1週に数度にわたる検査が必要なのである。
先の反論で、医療従事者や介護施設職員には3日か4日に1度はPCR検査を受けられる体制が与えられたほうがよいと書いたのは、検査を隔離と結びつけて運用するのなら、最低限そのくらいの検査頻度でなければ意味がないと考えたからだ。
付言すれば、筆者が望ましいと考えるのは、他者を感染させるリスクの中で働かざるをえない人たちが自律的な判断により職場からの隔離つまり自宅待機を選ぶことであって、全国民PCR検査論者が言うような感染疑惑者の隔離施設への全員収容などではない。しかし、自宅待機を選ぶこと自体が難しい人もいる。
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