20代でうつで酒浸りの母を介護した女性の苦悩 姉弟は手伝ってくれず、300万円の費用も負担

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その頃、ようやく姉は定職に就き、林田さんへの感謝の気持ちをきちんと言葉にして伝えてくれるようになった。相変わらず母親の介護は一切しなかったが、息子たちの育児は積極的にサポートしてくれた。

また、経済面でも変化が訪れた。父親の遺産を、母親の介護費用として使えることになったのだ。

長男は3歳から保育園に預け始め、育児にも介護にも多少の余裕が生まれてきた。

そして2019年、林田さんは訪問介護の仕事をスタート。

「私にとって、今のケアマネさんに出会えたことが、一番の救いになりました。最初、母が嫌がるのでなかなかデイサービスを利用できませんでしたが、ケアマネさんのおかげで利用できるようになりました。

徘徊で母が行方不明になったときは一緒に探してくれましたし、つらくて泣きながら電話をしたときは、『いつでも気兼ねなく連絡してね』と優しい言葉をかけてくれました。『1人じゃないんだ。味方がいるんだ』と勇気づけてもらえたことが、今につながっていると思います」

林田さんは20歳の頃にグループホームで介護職員として働いた経験があり、母親の介護をしているうちに「また仕事がしたい」と思うようになったという。

「正直、ダブルケアにやりがいを感じたことはありません。母は50代で認知症と診断され、私も20代から介護生活が始まり、ただ毎日必死で、やらざるをえないという気持ちだけでやってきました。

ただ、今、介護の仕事をしているのは、母の介護がきっかけなので、そういう意味では感謝していますし、知識や経験が増えたことで、母の介護の効率も上がったような気がします。でも、身内だと仕事のようにうまく介護できず、いつも悩んでばかりです……」

夫が単身赴任に

昨年から、夫は仕事でニューヨークへ行っている。

「飲食業界で働く夫は、朝から晩まで家にいないのが当たり前。育児も介護もほとんど1人でやってきました。今はニューヨークで単身赴任をしているので、完全にワンオペです。母との同居を選んだのも、介護をすると決めたのも自分なので、全部を背負っていく覚悟でやってきました」

母親の介護がいつまで続くかなどは深く考えたことがなかったが、「母のために自分の人生を諦めることだけはしたくない」と思っていたため、子どもを3人持つことに迷いはなかった。

「私には母との楽しかった思い出がなく、寝ている姿かお酒を飲んでいる姿しか思い出せません。私にとっては母は、『母のような母親にだけはなりたくない』という、反面教師的な存在です」

今年、林田さんは34歳、母親は66歳になった。

「最近、若年性認知症の人も増えています。今後は私のように、20代で親の介護を始める人や、介護をしながら子育てをする人も増えるのではないでしょうか。ダブルケアが当たり前の世の中になるかもしれません。その頃には、かつての私のように、育児や介護で苦しむ人を救える人間になっていたいと思っています」

林田さんは、ケアマネジャーの資格取得を目指して経験を積んでいる。

旦木 瑞穂 ライター・グラフィックデザイナー

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たんぎ みずほ / Mizuho Tangi

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する記事の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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