屋久島・永田集落で私が3年前に案内してもらった語り部さんは、ミカン農家の荒田純明さん(71歳)と、吉村保子さん(79歳)。吉村さんは永田集落の出身ではない。横浜市出身で、70歳になるまで千葉県で看護師を務めた。夫は他界し、2人の子も巣立った。「リタイア後は離島で何かに取り組み、シニア人生を送りたい」と全国の離島を旅し、屋久島の永田集落にほれ込んで移住した。
「人口400人余りの集落ですが、5つもある神社で、きちんと行事を続けている。日本山岳信仰の南限の屋久島で、歴史と文化が守られていることに感動した」からだという。田畑や林の上、はるか向こうに永田岳(1886m)が見える景観もすばらしかった。
そういえば3年前、荒田さんから、春と秋の2回、集落の青年団が中心になって9時間かけて永田岳に登り、山小屋に1泊してご来光を拝むのだ、と聞いたことを思い出した。永田岳という山を敬いつつ、自然とともに生きる暮らしが引き継がれていることに驚いた。
里めぐりにも、神社は組み込まれていた。5つの神社の中心、永田神社のほかにも、岩塊がご神体で、縁結びの神様でもある小山神社、林業に携わる人たちを守る山の神、大山神社などが人々の暮らしを支えていた。
休止しながらも国内旅行客の再来にも備え中
吉村さんによると、永田集落は新型コロナウイルスの感染拡大が話題になった今年初め以降、「高齢者が多いので、里を守らねば」と里めぐりを休止している。しかし同時に感染拡大が落ち着き、国内旅行客が来られるようになったときに向けての準備も進む。
永田集落には、ウミガメの産卵地となる浜がある。ここを起点に、里とウミガメの関わりを伝えるコースを新たに設ける予定という。「ウミガメを守り、地球温暖化やプラスチックによる海洋汚染を視野に入れて、里の人たちとウミガメの関わりを知る、そんな内容にしたい」と吉村さんは話す。
屋久島の里めぐりには、永田集落をはじめ7つの集落に加え、昨年12月から口永良部島が加わった。いまなお「噴火警戒レベル3」が続くが、本村(ほんむら)を歩くコースが設定された。島のインフラ整備に貢献した胃腸薬「恵命我神散」の創薬者、柴昌範氏の顕彰碑や幕末の薩英戦争以前に密貿易に関連した英国人館の跡などをめぐる。これまでの参加者は3人のみ。口永良部島・本村集落も、感染拡大収束後の来訪者を待っている。
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