2000年代に入ってから、家計資産の変動幅が大きくなったように見えるのは、偶然なのだろうか。金融政策との関係は無いのだろうか。
金融緩和の指標として、マネーストック(M2)と名目GDP(国内総生産)の比率を取ってみよう(左図)。米国では1980年代半ばころまでマネーストックと名目GDP比率は概ね横ばいで推移してきたが、1990年代に入って名目GDPに比べてM2の伸びが低くなり、マネーと経済活動の関係が失われたのではないかという論争があった。しかし、2000年代に入ると逆にM2の伸びが名目GDPの伸びを上回るようになり、1990年代とは逆の意味で経済活動とマネーの関係が不安定になっているように見える。
名目GDPに対するマネー(M2)の比率で見ると、1990年代半ばに0.45倍だったものが、2003年6月には0.52倍に達した。2005年頃には0.5倍を切る水準に低下したが、2009年半ばには0.59倍に上昇した後若干の低下となっている。2013年末には0.64倍というこれまでにない水準に達している。
ITバブル崩壊後の米国の金融緩和は急速かつ大胆なものだった。リーマンショック後には3次にわたってQE(量的緩和政策)を実施しており、ITバブル崩壊時を上回る大胆な金融緩和が行われた。このためITバブル崩壊後もリーマンショック後も、比較的短期間で経済は持ち直したことは確かだ。しかし、GDP比のマネーストックの動きからは、失業率の上昇やGDPの落ち込みという実物経済の問題を解決するために、より強い金融緩和(マネーの供給)が行われ、大きな資産バブルを作り出したという皮肉な見方ができる。
金融政策で経済の振幅が大きくなった
金融緩和によって経済活動が活発化する経路は、金利が低下し企業の設備投資や家計の住宅投資が活発化するというものだけではない。金融緩和を行うと資産価格が上昇するという経路も大きな影響を与えている。家計消費は、毎年の所得によって影響される部分が大きいが、株や預貯金などの金融資産や不動産などの実物資産も含めて、保有資産額が増加すると消費支出が増えるという資産効果があるからだ。
金融緩和によって株価が上昇して困る人はいないので、これに反対する人はまずいない。ITバブルの最中、グリーンスパンFRB議長(当時)が、株価について根拠なき熱狂かも知れない、と疑問を呈しながらも、結局は生産性の上昇によるもの、と肯定してしまったように、資産価格が正常か異常かの判断は難しい。財政政策では政府債務の増加のように目に見える問題が起きるが、金融緩和による資産価格の上昇は問題がすぐには目に見えない。だから、どうしても行き過ぎが起きやすい。
こうした観点から考えると、2000年代に入ってからの米国の金融政策が成功してきたと言えるかどうかははなはだ疑問で、むしろ経済の振幅を大きくしてしまった可能性があるのではないだろうか。
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