「捨ててよ、安達さん。」コロナ禍の我々に響く訳 安達祐実が「捨てる姿」に映る不要不急の本質

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ドラマのガラケーの着歴は「母親」と「マネージャー」ばかりだったと語られる。それじゃあ青春の思い出はなさそう。仕事の記録でしかなさそう。良い思い出によって捨てられないことは素敵なことであり、悪い思い出があるから捨てたいと思うことももっとも。だが「忘れられて」いることは哀しい。そこで安達さんは高校時代のガラケーに残った着歴やメール、保存された写真などを見返すと……。

はたして、安達さんは、高校時代のガラケーを捨てることができるのか。

断捨離するとき、何にどう見切りをつけるかが難しい。安達さんのように思い出に浸り、その結果やっぱり捨てないでおこうと思ってしまうことがある。ドラマは、その「心」の問題に迫る。第4回は、遠い関係の親戚が作ってくれた飾り時計(演じているのは片桐はいり)との対話。その時計は、安達さんのインテリアの趣味にはまったく合わないが、手作りとあってなんだか捨てられない。

「断捨離」とは自分を解放すること

ネタバレになるが、その時計に安達さんを思って取り付けたパワーストーンがあって、その意味は「あなたを縛るものから心を開放して新たな一歩を踏み出す」というもの。安達さんは「自分は何に縛られているんだろう?」と考える。そう、そこである。「断捨離」とはなにかに縛られている自分を開放することであるとこのドラマは教えてくれる。もしかしたらそこには、われわれの“安達祐実”に対する先入観(いつまでも変わらない可愛い俳優)も含まれているのかもしれない。

いまわれわれがいちばん開放されたいと願うことは、家にずっといることを強いられていることだが、そんなときこそ家の中を見回して断捨離。さらにいえば、SNSで話題になった星野源の歌「うちで踊ろう」の「うち」が「心のうち」であるように、自分の心の中も見回すとき。そのとき、「不要不急」とは何かについて。ひいては、自分にとって、社会にとって、何が必要なものなのか、改めてじっくり考えたいものである。

まだまだ自粛は終わらない。断捨離の他に家でできることのひとつに配信番組を見ることも増えている。「捨ててよ、安達さん。」もオンエアで見そびれても配信で見ることができる番組で、モノを捨てられなくて迷っている方にはおすすめできる。いまの時期の心の安定にも効果的なドラマであることは間違いないが、番組の終わりにメルカリとドラマのコラボCM(安達さんがメルカリに出品している)を流しているところはちゃっかりしている。家のなかを見回して、不要なものを出品する人も増えていそうだが、郵送、配送で不要不急の外出が増えることは気をつけたい。

ちなみに、ドラマの舞台は“安達祐実の家”という体(てい)なので、飾らない安達祐実の姿を愛でる映像としても楽しめる。ソファにだらりと座る安達祐実、ベッドに寝転がる安達祐実ほか、第1話で、夫のセーターの毛玉を無心にとっている姿など最高である。毛玉、これもひとつの「断捨離」だと思う。(文中敬称略)

木俣 冬 コラムニスト

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きまた ふゆ / Fuyu Kimata

東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。

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