「捨ててよ、安達さん。」コロナ禍の我々に響く訳 安達祐実が「捨てる姿」に映る不要不急の本質
これまで彼女が捨てたものは以下。
第2回:輪ゴムとレジ袋
第3回:高校時代に使っていたガラケー
第4回:親戚のおばさんにもらった手作りの時計
絶妙なセレクトである。安達さんに限らず、一般人のわれわれにとっても不要不急なモノばかり。自分が映っているビデオや写真、必要かなと思ってとっておき貯まる一方の輪ゴムや袋類の数々、下取りに出してない歴代ケータイ、誰かの手作りのプレゼント……確かに、家に必ずあると言っていいだろう。粗大ごみとして出すような大きなものではなく、どこかの隙間に隠れて場所をとらないからこそ捨てられずいつまでも残っている。たまに、えいや!と大規模断捨離を行うときに見つけて、ひとしきりこれはどうしようかと思うようなモノばかり。
高校時代のガラケーを捨てるのは「忘れていたから」
とりわけ秀逸だったのが高校時代のガラケー。それまでは積極的に「捨てて」と迫ってきたモノたちだったが、ガラケー(演じているのは加藤諒)は、なぜ捨てるのか理由を求めてくる。安達さんがあっさり出した答えは「忘れていたから」で、それがガラケーをいたく傷つける。
ホンモノの安達祐実が「家なき子」で一斉を風靡していたのが12歳の頃。高校生というと、大河ドラマ「元禄繚乱」(1999年)に出ている頃か。ドラマのなかでも「時代劇の仕事がある」というようなセリフがあった。その前の1997、1998年は、大人気漫画「ガラスの仮面」の天才演劇少女北島マヤを演じていて、さぞや多忙であったことだろう。
だからドラマの「女子高生の青春はなかった」「正直、あんまりいい思い出はない」「ふつうの高校生ではなかった」「後悔はしてないが思い入れがあるわけではない」というセリフの数々がフィクションの安達さんではなくほんとうの安達祐実の気持ちのようにも見えてくる。
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