コロナ禍「戦争」に例えることの違和感と危うさ 封鎖措置1カ月のイタリアを見て考えた

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イタリアのホームレスは5万人以上だと推測されている。感染拡大につながる恐れがあるため、所得のない人たち向けの食堂やシェルターの活動は困難を極めているケースも多く、外出禁止令を違反したとして罰金を課せられた人も少なくない。いうまでもなく、それはイタリアに限った問題では決してない。

一方、1人暮らしの人は他人との接触に飢えている。

デジタル時代ではネットなどを通じて、いつもつながっているという錯覚に陥りやすい。しかし、いざ会えなくなると、強いと思っていたコネクションがどれだけもろく、どれだけ表面的なのかが痛いほどわかる。

彼氏と手をつないでまた散歩できるのはいつになるだろう、とパソコンのカメラに向かって友達が訴えてきたのは、数日前だった。もう1人の友人は彼女と別れたいが、会えるのは1週間に1回買い出しのときだけ。2メートル離れて、別れ話を切り出すのはなかなか勇気がいる。ソーシャル・ディスタンシング時代の愛はやはり難しい。

命を落とした人々や今でも生死をさまよっている重症患者が大勢いる中、それは大した問題ではないかもしれないが、一人ひとりの日常生活の中での比重は大きい。社会の中で生きている人間は、正常に機能するために毎日のちょっとした触れ合いやスキンシップ、人との会話、やり取りを必要としており、こうした行為が重要な役割を果たしている。

「ウイルスがなくなったら」とか、「普通の生活に戻ったら」など、こういった表現が相づちのように会話の中に頻出するけれど、時間を巻き戻すことはできない。世界をひっくり返してしまったウイルスは、私たちが住む空間の捉え方と、物理的にも精神的にも人との距離の取り方を変えてしまう可能性も否めない。

コロナ時代の「不安との付き合い方」

2つ目は、現代人の不安との付き合い方である。私たちはいつだって快適さを求めている。そして、その快適さを実現してくれるシステムやツールなどを信頼するあまり、それはそもそも自分たちが構築したもので、ミスを起こしたり、壊れたり、急に機能しなくなったりする可能性があることをつい忘れる。そして何かトラブルが起こった際、すぐに解決を求めてしまう。日頃提供されているカスタマーエクスペリエンスにスポイルされているからだ。

例えば少し前にこんなことがあった。日本在住のイタリア人が撮影した動画がイタリアに凄まじいスピードでシェアされ、話題になった。それには、日本ではコロナウイルスに効く魔法の薬がすでに発見されているというような内容が含まれていた。

素人の話と本来なら聞き流すべき内容だ。だが、「ネットからすぐ回答が得られる」というメンタリティーを持ってしまっている私たちは、信憑性が低いとわかりきっていても信じたい気持ちを優先してしまう。日常生活の中で、クリック1つで得られるようになったものは多いが、それでも不安は残る。その不安を受け入れて、上手に付き合っていく、というスキルが改めて必要とされている。

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