コロナに感染した父に「さよなら」を言うべきか 「愛する人がいない未来」に対する心の準備
「これは厄介な病気だ」最初の数人の患者を治療した後に、父はそう言った。「インフルエンザとはまったく別物だ」。
数週間前、12時間のシフトが終わって父が帰宅しようとしていると、1人の患者が心拍停止状態に陥った。 父はそれに対するトレーニングを受けており、これまでも何千人もの患者に対処してきたので、 その患者の命を救うために患者の近くへかがみ込んだ。
父はアイシールド(目の保護具)とマスクをつけていたが、急な事態でそれらが顔に完全に密着していなかった。このときに感染したのだろうと彼は考えている。 3月18日、彼には陽性反応がでた。
病院から家に戻すという難しい決断
父ぐらいの年齢でも回復する確率は高いということを知ってはいても、安心できるものではない。当初私たちは今よりは楽観的だった。しかし2週目に入った今が回復に向かうか悪化するかの分かれ目だ。そして彼の熱はいまだに華氏100度(摂氏37.7度)を下回ることがない。
「よくなりそうにない」水曜日に父は私に言った。「回復できそうにないな」。
一晩病院に泊まった後、私たちは父を家に戻すという難しい決断をした。病院にいれば、呼吸困難に陥ってもすぐに対応してもらえるだろう。コロナウイルスによる症状の悪化は速く、数時間で空咳から呼吸困難へと陥る可能性がある。
しかし、私が迎えに行く前に父はこう言った。「この病室でただ座っていることが、比較的体調のいい3日間を過ごす最良の方法かな」。
自分が病気であることを、父が認めるのをいまだかつて一度も聞いたことがない。既往症もまったくない。なのに私が洗濯物を集めたり、流しの皿を洗いに来ると、父は今家の中で掛け布団を2枚重ねにして眠っている。普段ならレストランの中ではでかすぎるほどだった父の声が、今は聞こえない。少し元気があるときには、父がメモ帳に手紙を書いては直し、書いては直ししている。その手紙を読まなければならない日が来ないでほしい。
人の死には、葬式や「shiva(喪中期間)」、「wake(お通夜)」といったイメージや、急に平手打ちを食らってまだヒリヒリしているときのような感覚がある。ルゲラーをつまみコーヒーを飲みながら、家族や友達が思い出話や死者の功績について語り合う。その対極として、死とは過分に装飾的なものだ。これがいわゆる喪だ。